いうことになるか分らない、という恐れもあれば、眼を離したらもう永久に彼女を失ってしまう、という恐れもあったが、また一方には、どうなったって構うものか、彼女を失ったって平気だ、と思う心が却って不安の念をそそって、彼女の側を離れ難かったのである。私は恰も鉄が磁石に引きつけられるように、始終彼女の方へ気を惹かれた。そして私は、じっと坐り込んでる彼女から、少し離れた所をぶらついたり、食事の時にはやはり一緒の餉台に坐ったり、彼女の側でいつまでも新聞を見てる風を装ったりした。
 そういう私に、彼女は殆んど一瞥をも与えなかった。二三日考えてみるという言葉を、常住不断に実行してるかのようだった。いつも口をきっと結び眼を見据えて、額に冷酷な専心の影を漂わしていた。そして時々思い出したように、三歳になる末っ児の達夫を、いきなり膝の上に引き寄せ、その上に屈み込んで頬をくっつけながら、力限りに抱きしめた。達夫が苦しがっていくら蜿いても、彼女はなかなか離さなかった。それでも一度手を離すと、もう忘れてしまったかのように見向きもしないで、自分一人の沈思に耽っていった。かと思うとまた三人の子供達を呼び集めて、一番好きな御馳走を拵えてあげようとか、一番好きな玩具を買ってあげようとか、一番好きな遊びごとをしてごらんなさいとか、兎に角子供の一番喜ぶことを尋ねておいて、女中に云いつけてその通りにさせた。けれどもやがてまた、自分自身の中に潜み込んで、苦しそうに眉根を寄せるのだった。そういう様子を神経質な長女の清子は、子供心にも痛々しく感じたのであろう、私の方を窺ったり俊子の方を窺ったりして、それから妙に涙ぐんだような眼付で、俊子の側にいつまでも坐り込んで小布を弄ったりしていた。次の子の秀夫は何事にも無頓着で一人で騒ぎ廻っていたが、いつも遊び相手の清子が取合わないので、つまらなそうな顔をして、女中の所へ菓子をねだりに行った。末っ児の達夫は、三歳とは云え漸く駈け廻れるくらいで、玩具箱をかき廻すのに倦きると、しきりに母親の後ばかり追っかけた。それを俊子は時々の気分によって、突き放したり抱擁したり愛撫したりして、泣かせたり苦しませたり喜ばせたりした。それから女中は変におずおずして――と私には思われた――影の方に引込んでばかりいた。皆一緒になって和やかにいっていた家庭の調子が、何だかばらばらに壊れて狂ってきた。其の中
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