るで白痴のような時間を過した。夜になると一人では寝られなかった。御両親と弟と皆で一つ室に寝て貰った。それでも私は時々、彼の幻を見て飛び起きることがあった。
 御両親の心配はどんなだったろう! 私はただ晩にうなされるとだけで、本当の原因は云い得なかった。うち明けたら猶更御両親の心配は増すだろうと思ったからである。
 私は日に日に痩せ衰えていった。そして東京の兄さんに逢いたくなって、簡単に事情を知らした。兄さんはすぐにやって来られた。それが十二月二十七日だった。私はもう二三日のうちに死ぬものだと覚悟していた。
 兄さんは私から詳しいことを聞いて、非常に驚かれたようだった。けれどもわざと平気を装って、気のせいだと云われた。そして兎も角も、出来るだけ安静にしているように私に命ぜられた。晩には催眠剤を飲ませられた。お医者の診察では、私は極度の神経衰弱で、その上心臓が非常に弱ってるとのことだった。
 死を覚悟していた私は、そのまま年末を通り越して、十九のお正月を迎えた。私はほっと安心した。そのせいか、彼の幻影に悩まされることは少くなった。少しずつ元気になっていった。
 けれども、私の運命は永久に彼から解き放されることは出来ない! そう私は信じた。そして一人諦めていた。
 所が正月の八日に、……ああ私は感謝の言葉を知らない! 兄さんが初めからの詳しいことを、お寺の和尚さんとあの年若いお坊さんとに話して、お坊さんに私を妻としてくれないかと相談せられたそうだ。するとお坊さんは、私を心から愛すると誓って下すったそうだ。それを八日に、私は兄さんから聞かせられた。
 私は泣いた。終日泣いた。後から後から涙が出て来た。なぜ泣くかって兄さんに叱られたけれど、どうして泣かずに居られよう!
 私はすぐ、あのお坊さんに宛てて、今や私の愛する人に宛てて、この手記を書きかけた。けれどももう書けなくなった……。



底本:「豊島与志雄著作集 第一巻(小説1[#「1」はローマ数字、1−13−21])」未来社
   1967(昭和42)年6月20日第1刷発行
初出:「婦人倶楽部」
   1920(大正9)年12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2008年9月18日作成
2008年10月20日修正
青空文庫作成ファイル:
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