と、ぐちゃりと大きな音が指先に伝わり、白い臓腑を噴出さしている。汚らわしい奴だ。紙にくるんで、さて、捨て場所に困ったが、構うことはない、便所に放りこんでやった。
小便をしていると、足がふらついた。
酔ったのかな。
両手を頭の下にあてて、仰向けに寝ころんでみたが、瞼が重い感じだ。眠ってはならない。今に彼女が来るだろう。起き上り、整理小箪笥の一番下の抽出を探ると、幾つかの小壜がある。机の上に、数粒の錠剤をころがしてみる。扁平な白い錠剤をもてあそぶのは、童心の喜びだ。おれはそれらを愛用してるのではない。ヒロポニアンでもなければ、アドルマーでもない。ただ必要に応じて、ちょっとかじるだけだ。味のないこともあり、苦いこともあり、甘酸いこともある。いずれにしても後味はよくない。それを消すにはやはり酒に限る。
考えることがあるのだ。重大な考えごとがあるのだ。少しぬる加減の酒を、思惟の速度に合して、口にふくむだけで、眼を見据えていると、室の天井も四壁も消失して、心気は天地と合体する。微風が音もなく流れ、露が静かに結ぼれてる、晴朗な夜である。
「先生。」
こんどははっきりした声だ。
「はいってもよろしゅうございますか。」
「ああ、いいよ。」
さよ子はノートを持ってはいって来る。
「ここのところが、少し分らないんですけれど……。」
「まだ書いてるのかい。明日でいいよ。」
「でも、明日になって、そんなものだめだから、もうやめなさい、なんて、先生に言われますと、困りますもの。」
「大丈夫、気紛れは起さない。だが、今晩、もっと続けたければ、それでもいいよ。」
彼女が分らないというのは、ノートの中に待合の女将が出てくるところだ。芸者をダンサーに変えたんだから、女将はどうしたらよいかというのである。そんなら、女将は、ダンスホールのマネージャーにでもしたらよかろうし、そのマネージャーには、彼女が識ってる出版社の編輯長でもかりてくるんだなと、おれはいい加減に助言してやった。その言葉を一つ一つ、彼女は噛みしめるように頷いている。憐れな奴だ。
ふと、憐愍の情がおれの胸に萠してくる。
「何事も勉強だよ。天才は忍耐だと言うが、忍耐して努力すること、つまり努力し得る能力が、即ち天才なんだ。君も勉強してごらん。」
彼女は眼をぱちくりさしておれの顔を見た。浅黒い皮膚で、小鼻がしぼみ、耳のわきに薄い
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