深そうな狭苦しい暗い路次であって、きゃんきゃんいう仔犬の悲鳴が、路次一杯に反響して吐き出されてきた。と思ったのは僅かな間で、やがてしいんと静まり返った。その静けさから、私はぞっと身が竦むような感じを受けた。
やがて私は、両手を懐につっ込んで、一歩一歩踏みしめるような足取りで歩き出した。折り挫かれた仔犬の足の痛みを、自分の身内に感じていた。そしてまた、ああいう人通りの中で、犬の足を轢いたまま無事に逃げてゆけるとすれば、兎に角早く逃げさえすれば、何をしたって大丈夫だ、とそんなことも考えていた。それからまた、何かしら血腥い異常な興奮にも駆られていた。昔子供の頃田舎で、蛙を捉えてきて蛇に呑ませ、円く脹らんだ蛇の喉元を木片で逆にこすり上げて、蛙をまた吐き出させ、半死半生の蛙が漸くに飛んで逃げるのを見て、髪の毛がぞっとするような喜びを味った、あれと同じような、残忍な毒々しい興奮だった。
そして暫くして私は、自分が或る一人の男の後をつけてることに気付いた。それは肺病やみらしく痩せ細ってる、背広をつけた中年の男だった。古ぼけた麦稈帽の下から、日に透したら血管が浮いていそうな耳朶と[#「耳朶と」は底
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