…。金が無くなれば、親分を頼っていって、働かして貰う。マラリアが恐いので台湾には渡らなかったが、朝鮮にはだいぶ居た事があるし、其他、南は鹿児島から北は北海道の果まで、各地を渡り歩いてるのだった。
ところで、こんど暫く草津の湯にはいってから、小諸に仕事を求めるために、鋸をかついで街道を歩いてきた。朝のことだ。上天気だ。六里ヶ原にさしかかると、早くも秋草が咲いている。牧場の牛が群れている。浅間山の煙が真直に立っている。いい景色だ、と思うと、我知らず心が澄んで、路傍の叢に、かすかに虫の鳴く声がするようだ……。
その時、ぽかっと、青空の下日の照る中に、数十年間の放浪の生活が――というより、そうした現在の自分自身が、無際限な時と場所とのまんなかに、小さな一点となって浮んできた。
幻は瞬間に消えたが、彼は眼を瞬き、煙草を吸った。「一体何になるんだ。稼いで、食って、生きて……あああ。」日がかっと照ってるだけに恐ろしかった。花が咲き、虫が鳴き、牛が草食い、浅間の煙が悠長に立ち昇ってるだけに、なお恐ろしかった。
彼は打ちのめされたような気持になって、肩の鋸も重く、首垂れて歩いた。そして茶店に飛びこんで、酒を煽った。
「馬鹿なことを考えたもんでさあ。ねえ旦那、浅間の噴火口に飛びこむなんてのも、あんなものかも知れねえ。」そして彼はもうけろりとして、晴々とした哄笑で狭い茶店を満した。
だが、その「何になるんだ。」という奴が、いつまた彼の前にひょっこり姿を現わさないとも限らない。其奴は、「考える葦」たる吾々人間につきものだから。
彼がその時恐れた、野の花も、叢の虫も、牧場の牛も、浅間の煙も、日の光も、「何になるんだ。」なんてことを決して考えはしない。夢にも思ってはみないのだ。こんなことをしてそれから……そしてその先は……そして終局は、結局は、何になるんだ、とそんな無駄を考えて時間をつぶしはしない。もっと胎が据ってるんだ。
その時茶店の中で、私は木挽に右のことを反問するのを止めて、ただ微笑を以て彼の話に答えた。もし私がその反問をしたら、彼はどういう顔付をしただろうか。一層威勢よくなっただろうか、或は全くしょげ返っただろうか、それが私には疑問である。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
※底本は、物を
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