その男の、全体の陰鬱な感じと、穏かな微笑とが、別々になって僕に働きかけてきた。その上、向うにお久が澄しこんでることも、始終意識にひっかかってきた。それを、がむしゃらに押しきって、強いばら球ばかりを撞いてやった。
一回負けて、二回目にはいった時、他方の台の青年は、ゲームを止して帰りかけた。
「行こう。」
そういう言葉が耳についたので、ちらと見やると、青年のうちの一人が、お久と連れ立って出て行こうとしていた。
――なあーんだ。
二人は見返りもしないで、肩を並べて出て行った。
僕は二回も負け、こんどは木谷が相手をしようというのを郤けて、球の方は木谷と中年の男とに任したままぼんやり考えこんだ。残された青年の一人が、暫くつっ立って球をいじっていたが、やがてつまらなそうに帰っていった。
――彼奴かな。
お久と一緒に出て行った青年の姿が、初めは気にも留めなかったが、その時になって、はっきり頭の中に描き出された。青年といっても、学生といっても、学生と会社員との中間に当るくらいの年配と様子とで、セルの着物を一枚無造作にひっかけた恰好が、肩の骨立った張り工合から、腰の薄べったい痩せ工合など、呼吸器でも悪そうな風の男で、細面の顔が蒼白かった。始終知らん顔をして、目交え一つしなかったが、二人で並んで出て行った様子を見ると、お久と家をもってるのらしい。
「あの男ね……先刻出ていった……あれは、始終ここに来るのかい。」
木谷が側に来た時、僕はそう聞いてみた。
「ああ、常連の一人だよ。伊坂といって、球はなかなか強いんだ。」
「伊坂……。」
――あの男か。
お久がカフェーに出ていた頃、始終つけ狙ってる男があった。それがたしか、伊坂というのだった。
「うるさくって、面倒くさくって、本当に仕様がないのよ。……あら、あたしの方は何でもないわよ。」
平川や僕を相手に、お久はそういって笑っていたのだが……。
「君、知ってるのかい、あの女を。」
木谷は球を外すと、相手が撞いてる間僕の側にやってきて、薄ら笑いをしながら、いろんなことを饒舌っていった。
「あれは君、伊坂の細君なんだぜ。もとはカフェーに出てたとかいう噂なんだが、家をもっても、どこかそういった様子が残ってるようだね。こんなところにまで、図々しく押しかけて来たりしたりしてね。勿論、自分で来なけりゃ人がいないのかも知れないが、そん
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