つの象牙球が、表面に美しい光の反映を浮べながら、青羅紗の上をつつーと滑ったり、こーんとぶつかったりする、それを眺めてるのが好きなだけだ。
――煙草でも吹かして見物するか。
七八間先は見えないほどの濃霧だった。その中から、天井も壁も真白な広い撞球場の中に飛び込むと、心の眼がぽかっと開いたような工合だった。阿亀の面が、没表情な永遠な笑顔で、天井の一隅から見下している。
――ほほう。
こちらの台で、二人の青年が球を撞いていた。あちらの台では、色の黒い中年の男が、ゲーム取りの女を相手に遊んでいた。
「どうです。」
木谷はもう僕なんかには構わずに、つかつかとあちらの台の方へ進んでいった。
「やあー、今相手がないものですから……。」
「止しましょうか。」
男の言葉を引取って、顔はまずいが眼付の甘ったるい女は、ぱっとキュー先で球を乱してしまった。男の黒い顔は、黙ってにやにやしていた。
「何だい、急に……僕が来たからって……。」とは云いながら、木谷はもうキューを取りかけていた。「佐竹君、君先に一つ……。」
「いや僕は、見物の方がいいや。」
「そう。じゃあ失敬して……。」
そして、木谷と男がゲームを初めてるうちに、僕は水を一杯貰って、飲み終ったコップを横手の小卓へ置きにいって、振向いたとたんに、彼女とぱったり眼を見合してしまった。
彼女……というのは、入口に近い窓際の長椅子に坐っている、服装から髪恰好まで一寸生意気な、どこかつんとした調子のある、二十二三の女だった。それが、よく見ると、僕が行きつけのカフェーに以前いた、お久という女給だ。
――おや、変なところに……。
じっと見つめると、お久はあるかないかの会釈を眼付に示して、そのまま顔を伏せてしまった。
見廻したが、連れらしい者もない。
――変な奴だな、カフェーから姿を隠し、こんなところに……。
怪しいという気持と、一寸親しみの気持とで、何気ない風をして寄っていった。
「暫くだね……。」
低めたつもりの声が、がんと響いたと思われるほど強く反応して、彼女ははっと顔を挙げた。
「どうしたんだい……球を撞くのかい。」
真正面に見向いてる眼が、軽い滑稽な敵意を帯びて、わざとらしく睥めている。――二三ヶ月以前よりは、顔が引締って綺麗になっていた。
「いいえ、球なんか……。」
「じゃあ……。」
「一寸用があった……。
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