を世界のピース・センターにせんとの委員会が設けられた。ノーモア・ヒロシマズの声は世界に拡がりつつある。広島市庁には世界各地からの同情ある書信が到来しつつある。
この世界の与論に応じて否むしろそれに先んじて、ヒロシマは自らを平和都市となし、世界平和運動の根拠地たらんと自ら期している。だが、広島平和都市案は既に国会で可決されてはいるが、市の貧しい財政状態を以てしては、理想がいつ実現されることであろうか。原爆被害の物的資料の保存にさえ、安全な建物に事欠く現状である。平和記念館を建て、爆心地付近や城趾の荒野に大公園を設け、橋梁を修理し、河川を清掃し、放水路を作り、広い街路を通じ、河岸の緑地遊歩場を拵え……おう、限りなく仕事がある。
他方には、前述の老婦人が指摘したように、暗い面も多い。難渋な人々や気の毒な人々を善導して明るくしてやらなければならない。それに元来、広島は軍部に依存した所謂軍都であった。それが新たに、文化都市へ更生せんとする脱皮の悩みもある。それでも、多くの市民たちは、平和都市計画のために必要な私有土地を、進んで市へ還付しているのだ。
理想の実現には長年月を要するだろう。だが地の利は得ている。太田川の七つに分岐してる清流が市街地を六つのデルタに区分し、北方は青山にかこまれ南方へ扇形をなして海に打ち開け、海上一里ほどの正面に安芸の小富士と呼ばるる似ノ島の優姿が峙ち、片方に宇品の港を抱き、その彼方は、大小の島々を浮べてる瀬戸内海である。ここに建設される平和都市の予見は楽しい。
だが、まずそれまでは、ヒロシマの声に耳を傾け、その声を自分自身のものともしなければならない。ヒロシマは日本の中に在るのだ。軍備を廃止し戦争を放棄した日本に、平和擁護の声が起るのは当然のことだが、ヒロシマの声は最も痛切である。ヒロシマを忘れてる人がいはしないか。いつ如何なることがあっても、決して武器を手に執らないとの決意が出来ているか。ヒロシマを日本に持つことの苦難な光栄を人類に宣言するだけの覚悟があるか。講和条約が云々される折柄、これは根本的に重要な問題だ。戦争の大半は、人の心の中にある。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつ
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