機密に属することは固より吾々には分らない。
 熱線と共に来る放射線が恐ろしい。広島の赤十字病院には、当時、X光線用の乾板が鉛のケースに収められて地下室にあったが、それがみな原位置のまま感光していた。
 この放射線は、生きのびた人々をも多数、所謂原爆症で殺した。無傷な人々までが不思議な死に方をした。嘔気、頭痛、下痢、発熱……次で、脱毛、下痢、高熱……次で、粘膜出血、白血球減少……。火傷の痕はみなケロイド状で、皮膚が盛り上ってゴムを塗りつけたようになる。赤十字病院には今もそういう患者がいる。
 或る老婦人は、こういう風に言った。――「広島の明るい面ばかりでなく、暗い面もよく見て下さいよ。」
 意味は二様に取れる。主要な街路にはだいたい小さな人家が立ち並び、公共建物もだいたい整備されているが、まだまだ、市民の中には日々の生活に難渋を極めてる者も多く、孤独無縁な者も多い。それから次に、ケロイド状火傷者がたくさんいる。人目につかない部分だけにある者はまだよいとして、顔や手にそれが大きくある者については、殊に若い娘たちの場合は、なんとも言葉には言えない。あまり外にも出ず、なるべく人目を避けてる人たちがずいぶんいるのだ。そしてこの火傷は、細胞組織の変質によるので、現代の外科手術を以てしても治癒出来難いのである。――
「このようなこと、もうたくさんではないか!」
 而も現在、広島のよりも数倍或いは数十倍の威力を持つ原子爆弾が、出来ているし或いは出来つつある。そしてひとたび戦争が起れば、否応なく第三次世界大戦に突入する可能性が多く、原子力戦になる危懼が大きい。原子爆弾以外にも如何なる武器が製作されるか、予測を許さない。そしてそれらの武器は、もはや、戦争を終熄させるためにではなく、仮借なき人間殺戮のために、全面的破壊のために使用されるだろう。
 広島でさえ、原爆による死者は十一万余と、一年後に警察から発表されている。この中には、軍人や軍属は含まれていないし、発表後に原爆症で死亡した数は固より含まれていない。現在でも正確な数字は不明である。全滅した地区もあり、調査が因難なのだ。
 そしてその大多数が、殆んど一瞬のうちに死亡したのである。炸裂したのはただの一発だったが、当時はまだ原子爆弾のことが一般には知られておらず、被害地の誰もが、自分のところに普通爆弾の直撃を受けたのだと思った。直径四
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