は全世界より愛せられまた憎まれた。」――というようなことを好んで口にしたナポレオンにとっては、セント[#「セント」に傍点]・ヘレナの手記[#「ヘレナの手記」に傍点]は彼の生涯を支配した規範を毫も含んでいないものだったかも知れない。
然し、セント[#「セント」に傍点]・ヘレナの手記[#「ヘレナの手記」に傍点]を遺書で否認するところに、彼の痛切な――或は滑稽な――悲痛があった。
唯物論的見地よりすれば、比喩的に云って、人の生活はみな多少とも、セント・ヘレナに於ける囚虜の生活である。そして臨終の間際になって、こういう遺書を書いたとすればどうだろう。――某々の事業……某々の事蹟……某々の著述、それを凡て予は否認するものなり。予の生涯を支配せし規範は、その中に存せず。
書くことは問題でないが、書く気持、それを前以て活動期にある自己にあてはめて考えてみると面白い。痛烈でもあれば滑稽でもある。殊に、表現を事とする文学者にとっては、それは痛烈や滑稽以上である。而も、遺書にそんなことを書きたい者は、文学者に一番多いだろう。
ふざけちゃあいけない。――と云うのは、或はその生活に対して、或はその遺書
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング