った。
「小父《おじ》さん!」とクリストフはくりかえして、両手と顎《あご》を彼の膝《ひざ》にのせた。
ゴットフリートはやさしい声でいった。
「何《なん》だい……」
「それ何《なん》なの、小父《おじ》さん。教《おし》えてよ。小父さんが歌ったのなあに?」
「知らないね。」
「何《なん》だか教えとくれよ。」
「知らないよ。歌だよ。」
「小父《おじ》さんの歌かい。」
「おれのなもんか、ばかな……古い歌だよ。」
「誰《だれ》がつくったの?」
「わからないね。」
「いつ出来たの?」
「わからないね。」
「小父《おじ》さんの小さい時分《じぶん》にかい?」
「おれが生《う》まれる前《まえ》だ。おれのお父《とう》さんが生まれる前、お父さんのお父さんが生まれる前、お父さんのお父さんのそのまたお父さんが生まれる前だ……。この歌《うた》はいつでもあったんだよ。」
「変《へん》だね! 誰《だれ》にもそんなこと聞いたことがないよ。」
彼《かれ》はちょっと考えた。
「小父《おじ》さん、まだほかのを知ってる?」
「ああ。」
「もう一つ歌って。」
「なぜもう一つ歌うんだい? 一つで沢山《たくさん》だよ。歌いたい時に、歌わなくちゃならない時に、歌うものなんだ。面白半分《おもしろはんぶん》に歌っちゃいけない。」
「でも、音楽《おんがく》をつくる時はどうなの?」
「これは音楽じゃないよ。」
子供《こども》は考えこんだ。よくわからなかった。けれど説明《せつめい》してもらわなくてもよかった。なるほど、それは音楽《おんがく》ではなかった。普通《ふつう》の歌みたいに音楽ではなかった。彼はいった。
「小父《おじ》さん、小父さんはつくったことある?」
「何をさ。」
「歌を。」
「歌? どうして歌をつくるのさ。歌はつくるものじゃないよ。」
子供《こども》はいつもの論法《ろんぽう》でいいはった。
「でも、小父《おじ》さん、一|度《ど》は誰《だれ》かがつくったにちがいないよ。」
ゴットフリートは頑《がん》として頭を振《ふ》った。
「いつでもあったんだ。」
子供はいい進《すす》んだ。
「だって、小父《おじ》さん、ほかの歌を、新しい歌を、つくることは出来《でき》るんじゃないか。」
「なぜつくるんだ。もうどんなのでもあるんだ。悲《かな》しい時のもあれば、嬉《うれ》しい時のもある。疲《つか》れた時のもあれば、遠い家《いえ》のことを思う時のもある。自分がいやしい罪人《つみびと》だったからといって、まるで虫《むし》けら[#「けら」に傍点]みたいなものだったからといって、自分《じぶん》の身がつくづくいやになった時のもある。ほかの人が親切《しんせつ》にしてくれなかったからといって、泣《な》きたくなった時のもある。天気がよくて、いつも親切に笑《わら》いかけて下さる神様《かみさま》のような大空《おおぞら》が見えるからといって、楽しくなった時のもある。……どんなのでも、どんなのでもあるんだよ。何《なん》でほかのをつくる必要《ひつよう》があるものか。」
「偉《えら》い人になるためにさ……」と子供《こども》はいった。彼の頭は、祖父《そふ》の教《おしえ》と子供らしい夢《ゆめ》とで一ぱいになっていた。
ゴットフリートは穏《おだや》かに笑《わら》った。クリストフは少しむっ[#「むっ」に傍点]として尋《たず》ねた。
「なぜ笑《わら》うんだい!」
ゴットフリートはいった。
「ああ、おれは、おれはつまらない人間さ。」
そして子供《こども》の頭をやさしく撫《な》でながらきいた。
「お前は、偉《えら》い人になりたいんだね?」
「そうだよ。」とクリストフは得意《とくい》げに答えた。
彼はゴットフリートがほめてくれるだろうと思っていた。しかしゴットフリートはきき返した。
「何《なん》のためにだい?」
クリストフはまごついた。そして、ちょっと考《かんが》えてからいった。
「立派《りっぱ》な歌をつくるためだよ。」
ゴットフリートはまた笑《わら》った。そしていった。
「偉《えら》い人になるために歌《うた》をつくりたいんだね。そして、歌をつくるために偉い人になりたいんだね。それじゃあ、尻尾《しっぽ》を追《お》っかけてぐるぐるまわってる犬《いぬ》みたいだ。」
クリストフはひどく気《き》にさわった。ほかの時だったら、いつもばかにしている小父《おじ》からあべこべにばかにされるなんて、我慢《がまん》が出来なかったかもしれない。それにまた理窟《りくつ》で自分をやりこめるほどゴットフリートが利口《りこう》だなどとは、思いもよらないことだった。彼《かれ》はやり返してやる議論《ぎろん》か悪口《あっこう》を考えたが、思いあたらなかった。ゴットフリートは続《つづ》けていった。
「もしお前が、ここからコブレンツまであるほど大きな人物
前へ
次へ
全10ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング