びる》が少し震えていた。二人は立ち止まった。ようやく低い声で言った。
「グラチア!」
「あなたもここに!」
 二人は手を執り合って、無言のままじっとしていた。最初にグラチアが強《し》いて沈黙を破った。そして自分の居所を述べ、彼の居所を尋ねた。ただ機械的な問いと答えとで、二人はそれにほとんど耳を貸しもせず、手を離したあとに初めて聞きとった。たがいにじっと見入ってばかりいたのである。二人の子供がそこへやって来た。彼女はそれを彼に紹介した。彼は子供たちにたいして反感を覚えた。やさしみのない様子で子供たちをながめ、なんとも言葉をかけてやらなかった。彼は彼女のことでいっぱいになっていて、悩ましげな年取ったその美しい顔を見調べてばかりいた。彼女は彼の視線に当惑した。彼女は言った。
「今晩おいでになりませんか。」
 彼女は旅館の名を告げた。
 彼は彼女の夫の居所を尋ねた。彼女は自分の喪服を示した。彼はひどく心を動かされて、話をつづけることができなかった。そして無作法に彼女と別れた。しかし二、三歩行ってから、苺《いちご》を摘んでいる子供たちのほうへもどって、いきなり引っとらえて接吻《せっぷん》し、そし
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