的理性の軛《くびき》からのがれたのだった。もとより彼は当時の無気力な不道徳にたいしては、軽蔑《けいべつ》の念を少しも失いはしなかった。彼がやはり考えていたところによれば、不潔な芸術は芸術の最下等なものであった。なぜなら、それは芸術の一つの病気であって、腐敗した木に生ずる茸《きのこ》であった。しかしながら、快楽のための芸術は芸術の淫売《いんばい》であるとしても、彼はそれにたいして、道徳のための芸術という浅見な功利主義、鋤《すき》を引いてる翼なき神馬ペガソスを、押し立てはしなかった。最高の芸術、芸術たる名に恥ずかしからぬ唯一の芸術は、一時の法則を超越してるものである。それは無限界に投ぜられたる彗星《すいせい》である。実際的事物の範囲内において、その力が有益なることもあり得るだろうし、無益もしくは危険であると見えることもあり得るだろう。しかしそれは力であり、火であり、天より迸《ほとばし》った電光である。したがってそれは神聖なるものであり、善をなすものである。その善行は幸いにも実際的種類のものでさえあり得る。しかしその神聖なる真の善行は、信仰と同じく、超自然的種類のものである。この力はそれが発してきた太陽に似ている。太陽は道徳的でも不道徳的でもない。それは存在する者[#「存在する者」に傍点]である。それは闇黒を征服する。芸術もまた然りである。
 芸術の手に委《ゆだ》ねられたクリストフは、思いもつかない未知の力が自分のうちから迸り出るのを見て、呆然《ぼうぜん》たらざるを得なかった。それは、彼の情熱や悲哀や意識的な魂などとはまったく別なもので――彼がこれまで愛し持ち堪えたものとは、彼の全生活とは、無関係な別種の魂であり、快活な奇怪な粗野な不可解な魂であった。その魂が彼の上にまたがって、彼の脇《わき》腹を拍車で蹴《け》りつけた。そしてときおり、彼は息をつくこともできないで、自分の書き上げたものを読み返しながら、みずから怪しんだ。
「これはどうしたのか、こんなものが俺《おれ》の身体から出たというのか?」
 彼はあらゆる天才が経験する精神の逆上にとらえられ、意志を脱してる一つの意志、「世界と生との名状しがたき謎[#「世界と生との名状しがたき謎」に傍点]」、ゲーテのいわゆる「悪魔的なるもの[#「悪魔的なるもの」に傍点]」にとらえられた。彼はそれにたいしてなお武装してはいたが、しかしそれ
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