トフをいっそう面白い人物にした。オリヴィエはまだかつて公表機関との交渉に経験がなかった。一度動き出したらもう取り締まることも抑制することもできない恐るべき機械を、自分が動かすようになろうとは考えに入れていなかった。
 で彼は、講義に出かける道すがら、グラン[#「グラン」に傍点]・ジュールナル[#「ジュールナル」に傍点]の評論を読むと呆然《ぼうぜん》としてしまった。そんなひどいことを書かれようとは予期していなかった。新聞というものは、あらゆる調査をよせ集めて、書くべき対象を多少ともよく知りつくしてから、初めて筆にのぼすものだと、彼は考えていた。がそれはあまりに世間知らずだった。新聞が一つの新しい光栄者を発見するの労をとる場合には、それはもちろん新聞自身のためであって、発見の名誉を他の新聞から奪わんがためにである。それで、讃《ほ》めるものを少しも理解しなくても構わず、ただ急いでやらなければならない。しかし作家のほうでそれをぐずぐず言う者はめったにない。賞賛されるときにはいつもかなり理解されてるわけだから。
 グラン[#「グラン」に傍点]・ジュールナル[#「ジュールナル」に傍点]はまず、クリストフの悲惨な境遇についてばかばかしいことを述べたて、クリストフをドイツの専制主義の犠牲者だとし、自由の使徒だとし、帝国主義のドイツからのがれて、自由な魂の避難所たるフランスへ逃げ込んだのだと言い――(熱狂的な愛国心の台辞《せりふ》を並べるにはいい口実である)――つぎに、彼の天才を激賞していた。しかし彼の天才について実際は何にも知っていなかった――彼がドイツにいるときの初期の作で、今では自分でも恥ずかしがってなくしてしまいたがってる、二、三の平凡な旋律《メロディー》以外には、何にも知っていなかった。けれどその評論の筆者は、クリストフの作品については無知であっても、クリストフの意図をもって――彼がクリストフの意図だとしてるものをもって、足りないところを補っていた。あちらこちらで拾い上げたクリストフやオリヴィエの二、三言、クリストフのことなら知りつくしてると自称してるグージャールみたいな連中の言葉、それだけでもう筆者にとっては、「共和的な天才――民主主義の大音楽家」たるジャン・クリストフの面影を作り出すのに、十分だったのである。筆者はこの機会に乗じて、現代フランスの音楽家ら、ことに民主主義などをいっこう気にかけていないもっとも独創的な音楽家を、ののしり散らしていた。ただ、りっぱな選挙論をもってるらしい一、二の作曲家ばかりは、その例外だとしていた。彼らの音楽がその選挙論よりずっと劣ってるのは残念なことだった。しかしそれは些事《さじ》にすぎなかった。そのうえ、彼らにたいする賛辞も、またクリストフにたいする賛辞でさえも、他の音楽家らにたいする非難ほど重大なものではなかった。パリーでは、一人の者を讃《ほ》めてる評論を読むときには、「だれのことが悪く言われてるか」と考えるのが、いつも慎重な方法である。
 オリヴィエは、新聞を読んでゆくに従って恥ずかしさに顔を赤くし、そして考えた。
「俺《おれ》はとんだことをしたものだ!」
 彼は講義をするのもようやくのことだった。自由の身になるとすぐに、家へ駆けもどった。クリストフが新聞記者らといっしょに出かけたことを知ると、このうえもなくびっくりした。昼食には帰って来るだろうと待ってみた。がクリストフは帰って来なかった。オリヴィエは時がたつにつれて心配になって考えた。
「彼らはクリストフに馬鹿《ばか》なことを言わしてるに違いない。」
 三時ごろ、クリストフはごく快活な様子で帰ってきた。アルセーヌ・ガマーシュと昼食を共にしたのだった。シャンペン酒を飲んだので頭が少しぼんやりしていた。どんなことを言いどんなことをしたかとオリヴィエから気がかりそうに尋ねられたが、彼にはその不安の理由が少しもわからなかった。
「何をしたかって? 素敵な昼飯を食ったよ。もう長らくあんなによく食ったことはなかった。」
 彼はその献立表を述べてきかした。
「それから酒も……いろんな色のを飲んだよ。」
 オリヴィエはそれをさえぎって、他の客たちのことを尋ねた。
「他の客たちだって?……僕《ぼく》はよく知らない。ガマーシュがいた。丸っこい男で、このうえもなく純真な奴《やつ》だ。評論の筆者のクロドミールもいた。面白い奴だ。それから、三、四人の知らない記者がいたが、みなたいへん快活で、僕に親切と好意とを見せてくれた。一粒|選《よ》りのりっぱな連中だったよ。」
 オリヴィエは承認の様子を示さなかった。クリストフはオリヴィエがあまり喜ばないのが不思議だった。
「君はあの評論を読んでいないんだね。」
「読んだとも。そして君自身はよく読んでみたのか。」
「読んだ……と言
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