害し得ない。なぜなら、最初から彼らは、自分の道は幸福の道と通ずる点は少しもないこと、それでも選択の余地はなく、ただその道を進まねばならないこと、他の道では息がつけないこと、それをよく知っていた。が人は初めからそういう確信に達するものではない。十四、五歳の少年でそれに達せられるものではない。それ以前に、多くの苦悩をなめ、多くの涙を流すものだ。しかしそれでこそよいのだ。そうなければならないのだ……。
[#ここから3字下げ]
おう信念よ、鋼鉄の処女よ……
汝《なんじ》の鎗《やり》もて耕せ、蹂躙《じゅうりん》せられし民族の心を……。」
[#ここで字下げ終わり]
クリストフは黙ってオリヴィエの手を握りしめた。
「クリストフ、」とオリヴィエは言った、「君らドイツは、われわれをひどく苦しめたのだ。」
クリストフは、自分がその原因ででもあったかのようにほとんど謝《あやま》ろうとした。
「なに心配するには及ばない。」とオリヴィエは微笑《ほほえ》みながら言った。「ドイツがみずから知らずにわれわれにしてくれた善は、その悪よりも大きいのだ。われわれの理想主義をふたたび燃えたたせたのは君たちであり、われわれのうちに学問と信念との熱をふたたび高めさしたのは君たちであり、わがフランスの至る所に学校を設けさしたのは君たちであり、パストゥールの、あの五十億の償金をつぐのうほどの発見をなしたパストゥールのような創造力を、刺激してくれたのは君たちであり、われわれの詩や絵画や音楽を復興さしたのは君たちである。君たちのおかげでわが民族の意識は覚醒《かくせい》したのだ。幸福よりも自己の信念のほうを取るためになさなければならなかった努力に、われわれはよく報いられた。なぜなら、われわれは世界一般の無気力のうちにあって、大なる精神力を感得して、もはや勝利をさえも疑わなくなっているのだ。君が見るとおりわれわれはいかにも少数ではあるけれど、また外観上いかにも微弱ではあるけれど――大洋のごときドイツの力に比すれば水の一滴にすぎないけれど――しかもわれわれは、大洋全部を染め得る一滴であると自信しているのだ。マケドニアの一隊の武士がヨーロッパ平民の群がり立つ軍勢を突破するようなことも、起こるかもしれないのだ。」
信念に輝いた眼つきをしてる病弱なオリヴィエを、クリストフはながめた。
「憐《あわ》れな小さな虚弱なフランス人たち、君たちのほうがわれわれよりもずっと強い。」
「仕合わせな敗北なるかなだ!」とオリヴィエは繰り返した。「讃《ほ》むべき災害なるかなだ! われわれは災害を否認しはしない。われわれはそれから生まれた児である。」
[#改ページ]
二
敗北は優秀者らを鍛え、魂の選《え》り分けをする。それは強い純粋な者だけを別になし、それをいっそう強く純粋になす。しかしそれは他の者らの滅落を早め、もしくはその気勢をくじく。それゆえに、倒れかかってる大部分の民衆と、歩きつづけてる優秀者らとを、分け隔てる。優秀者らはそのことを知っており、そのことを苦しんでいる。しかしもっとも勇敢な人々のうちにも、あるひそかな憂鬱《ゆううつ》が、自己の無力と孤立との感情が、存在している。そしてもっともいけないことには、彼らはその民衆の本体から離れながら、また彼ら相互も離れ離れになっている。各自が自分自分のために戦っている。強い者らは自分の身を救うことばかりを考えている。おう人間よ[#「おう人間よ」に傍点]、汝自身を助けよ[#「汝自身を助けよ」に傍点]!……という雄々しい格言は、おう人間らよ[#「おう人間らよ」に傍点]、たがいに助け合え[#「たがいに助け合え」に傍点]! という意味であることを、彼らは考えてもみない。信頼の念、同情のあふれ、一民族の勝利から来る共同動作の要求、充実の感情、絶頂に達せんとの感情、などがすべての人に欠けている。
クリストフとオリヴィエとは、そのことを多少知っていた。彼らを理解し得る魂に満ちてるこのパリーの中で、未知の友人らが住んでるこの家の中で、彼らはアジアの沙漠《さばく》中にいると同じくらいに孤独だった。
彼らの境遇はつらかった。生計の道がほとんどないとも言っていいほどだった。クリストフは、ヘヒトから頼まれた音楽上の模作や改作の仕事をもってるきりだった。オリヴィエは、軽率にも学校の職を辞してしまっていた。それは姉の死以来意気|沮喪《そそう》してしまい、ナタン夫人の連中の間である悲しい恋愛の経験をしたために、さらに落胆した時期だった。――(彼はその恋愛についてクリストフへかつて話さなかった。なぜなら、自分の苦しみを恥ずかしがっていたから。そして、もっとも親しい者にたいしてまで、いつも内心に多少の秘密をもってること、それがまた彼の魅力の一つの原因となるのだった。)――沈黙に飢えてるそういう精神|疲憊《ひはい》の状態にあっては、教師の職務は堪えがたくなったのだった。この職業では、虚勢を張り思想を高言しなければならないし、けっして一人きりでいることがないので、それにたいして彼はかつて趣味がもてなかった。中学の教師としては、何かある高尚さをもつために、伝道師的な気質が必要だった。がオリヴィエはそういう気質を少しももたなかった。大学の教師としては、たえず公衆と接触することを余儀なくされた。がオリヴィエのように孤独を愛する魂にとっては、公衆との接触は痛ましいことだった。オリヴィエは二、三度公衆の前で話さなければならなかった。彼はそれについて妙な屈辱を感じた。高い壇の上で見世物となることが嫌《いや》でたまらなかった。彼は聴衆を見物[#「見物」に傍点]し、あたかも触角でするように聴衆を感知し、聴衆の大部分は憂晴《うさば》らしを求めてるだけの無為の徒からなってることを知った。そして公々然と人の慰みになるような役目は、彼の趣味に合わなかった。それからことに、演壇の上から発する言葉は、思想を変形してしまうものである。よほど注意しないとその言葉は、身振りや語調や態度や思想表白の方法などのうちに――気持のうちにさえも、ある一種の道化味をしだいに導き入れる。講演というものは、退屈な喜劇と世俗的な物知り顔、その二つの暗礁の間を行き来する種類のものである。敷石の見知らぬ無言の人々の面前における、その声高な独自の形式、万人に向くはずであってしかもだれにも似合わない、その出来合いの着物、それは、多少人|馴《な》れない高慢な芸術家気質にとっては、ひどく間違ったものと思われる事柄である。オリヴィエは、自分自身に沈潜して自分の思想の完全な表現のみをしか口にしたくない欲求を感じていたので、ようやくにして得た教師の職をも擲《なげう》ってしまった。そして、彼の夢想的傾向を止めるべき姉もいなくなっていたので、彼は筆を執り始めた。芸術的な価値がありさえすれば、別にその価値を人に認められようと努力せずともかならず認められるものだと、率直に考えていた。
ところが彼はその夢から覚《さ》めさせられた。何一つ発表することができなかった。彼は自由を熱愛していたので、すべて自由をそこなうものを嫌悪《けんお》して、自分一人離れて生きていた。あたかも、たがいに対抗団結を作って国土と新聞雑誌とを分有する、政治的諸教会の岩石の間に生えてる、空気の欠乏した植物に似ていた。また同様に彼は、あらゆる文学的党派から離れ見捨てられていた。文学者仲間に一人の友人もなかったし、友人のありようがなかった。彼はそれらの知的な魂の冷酷さや無情さや利己主義に悩まされた――(ただほんとうの天稟《てんぴん》に導かれてる者や熱心な学術的研究に没頭してる者など、ごく少数の人々については例外だった。)頭脳――小さな頭脳をもってるときに――頭脳のために心を萎縮《いしゅく》させた者こそ、悲しむべきである。温情は少しもなく、鞘《さや》に納めた短刀のような知力があるのみである。われわれはその知力にいつ喉《のど》を刺されるかわからない。不断に武装していなければならない。自分の利益のためにではなしに美しいものを愛する善良な人々――芸術界の外部に生きてる人々、などにしか友情の可能性はない。芸術界の空気は大多数の者には呼吸できない。生命の泉たる愛を失わずにそこに生きることができるのは、ただきわめて偉大なる人々のみである。
オリヴィエはただ自分一人を頼りにするのほかはなかった。それはごく心細い支持だった。彼にはあらゆる奔走がつらかった。自分の作品のために身を屈したくはなかった。阿諛《あゆ》的な追従《ついしょう》を見ると恥ずかしかった。たとえば、知名な劇場支配人は、青年作家らの卑怯《ひきょう》さに乗じて、召使にたいするよりもひどい態度を示していたが、それに向かって彼らは、やはり卑しい阿諛を事としていた。オリヴィエには、たとい生活問題に関するときでもそういうことができなかった。彼は自分の原稿を、劇場や雑誌の事務所に、郵送するか置いてくるかだけだった。その原稿は幾月も読まれないで放っておかれた。ところがある日彼は偶然に、中学時代の古い同窓の一人に出会った。愛すべき怠惰者《なまけもの》だったが、オリヴィエからいつも親切にたやすく宿題を作ってもらったことがあるので、今でもなお深い感謝の念を失わずにいた。文学のことは何にも知らなかったが、はるかに好都合なことには、文学者らに知人をもっていた。そして、金持で俗人だったので一種の見栄坊《みえぼう》から、内々文学者らの利用するところとなっていた。その男が自分の出資してるある大雑誌の幹部へ、オリヴィエのために一言口をきいてくれた。するとただちに、オリヴィエの埋もれた原稿の一つが掘り出されて読まれた。そして多くの躊躇《ちゅうちょ》の後に――(なぜなら、その作はある価値をもってるらしかったが、作者の名前は世に知られていないのでなんらの価値ももっていなかった)――ついに採用されることとなった。オリヴィエはその吉報を聞くと、もうこれで心配は終わったと思った。しかしそれは心配の始まりだった。
パリーでは、作品を受諾してもらうことは比較的たやすい。しかし作品を発表してもらうことは別事である。編集者らを機嫌《きげん》取ったりうるさがらせたり、それら小さな君王らの前にときどき伺候したり、自分が存在してることや必要なときにはいつでも困らしてやる決心でいることを彼らに思い出さしたりする、という才能を知らないときには、幾月も、場合によっては一生でも、待ちに待たなければならない。ところがオリヴィエは自分の家に閉じこもってることしか知らなかった。そして待ちくたびれてしまった。たかだか手紙を書くくらいなものだったが、それにはなんの返事も来なかった。いらいらしてもう仕事も手につかなかった。それは馬鹿げたことではあったが、理屈ではどうにもならなかった。彼はテーブルの前にすわり、落ち着かない悩みに沈んで、郵便の来る時間時間を待ちくらした。室から出て行っては、下の門番のところにある郵便箱に希望の一|瞥《べつ》を投げたが、すぐに裏切られてしまうのだった。散歩に出ても何にも眼にははいらず、もどって来ることばかり考えるのだった。そして、最終便の時間が過ぎてしまうとき、室の中の静けさを乱すものは頭の上の鼠《ねずみ》どもの荒々しい足音ばかりとなるとき、彼は編集者らの冷淡さに息づまる心地がした。一言の返事、ただ一言! それだけの恵与をも拒まれるのであろうか? けれども、それを彼に拒んだ者のほうでは、彼をどれだけ苦しめてるかは夢にも知らないでいた。人はそれぞれ自分の姿によって世界をながめるものである。心に生気のない人々は世界を乾燥しきったものと見る。そして彼らは、年若い人々の胸に湧《わ》き立つ期待や希望や苦悶《くもん》のおののきを、ほとんど思ってもみない。もしそれを思いやるとしても、飽満した身体の鈍重な皮肉さで、それを冷淡に批判してしまう。
がついに作品は発表された。オリヴィエはあまりに待たされたので、もうなんらの喜びをも感じなかった。それは彼にとっては死物だった。それで
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