に傍点]におけると同じく、この一巻のうちにも彼らは小説的波乱を見出さないだろうし、あたかもここで主人公の生活は中止されたかの観がある。
私はここに、いかなる情況のうちに私がこの全部の著作に取りかかったかを、陳述しなければならない。
私は孤立していた。フランスにおける多くの人々と同様に、私は害悪な精神界に窒息しかけていた。私は呼吸したかった。不健全な文明にたいして、偽りの選良者らから腐敗されてる思想にたいして、反抗して起《た》ちたかった。その選良者らに言ってやりたかった、「君らは嘘《うそ》を言ってる、君らはフランスを代表してはいない。」
それには、純潔な眼と心とをもち、発言の権利を得るだけの十分高い魂をもち、人に耳を傾けしむるに足りる十分強い声をもってる、一つの主人公が、私に必要であった。私は気長にそういう主人公を築き上げた。意を決してこの著述に筆を染むる前、私は主人公を十年間も自分のうちに担《にな》っていた。クリストフがいよいよ発足したのは、私がすでに最後まで彼の道程を見きわめたときにであった。そして、広場の市[#「広場の市」に傍点]のある部分や、ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]の終わりのある部分(ことに燃ゆる荊[#「燃ゆる荊」に傍点]の中のアンナの章)などは、曙[#「曙」に傍点]よりも前に、あるいは同時に、書かれていた。クリストフやオリヴィエのうちに反映するフランスの映像は、最初よりして、本書のうちに一定の場所を占めていた。それゆえに、これをもって著作の脱線だと見なしてはいけない。これは道中予定の佇止《ちょし》であって、過ぎ来し谷間をふり返り見、行く手の遠い地平線をうちながむべき、人生の大なる覧台《テラース》の一つである。
言うまでもなく私は、これら最近の巻(広場の市[#「広場の市」に傍点]と家の中[#「家の中」に傍点])において、もとよりその後の部分においても同様であるが、一つの小説を書くという志望は少しもなかった。それではこの作品はいったいなんであるか? 詩であるのか?――いや名前の必要がどこにあろう。一人の人間を見て、それは小説か詩かと尋ねる者が世にあろうか。私が創造したのは一個の人間である。一個の人間の生活は、文学上のある形式の中にはめ込まれ得るものではない。その法則は生活自身のうちにある。そして各生活はそれぞれ自
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