とり、夜おそくまで起きていて、隣の人々から小言を言われはすまいかと気づかって、音符を一つずつごく静かにピアノで押しながら、それらの曲をひくのではなく読んでいった。また多くは読んでもいなかった。ぼんやり夢想していた。自分に憐《あわ》れみをかけてくれ、温情の不思議な直覚力で自分の心を読みとってくれた、その魂のほうへ、感謝と愛情とに駆られて引き寄せられた。彼女は考えをまとめることができなかった。うれしかった、また悲しかった――悲しかった!……ああ、ほんとにひどく頭が痛かった!
甘い切ない夢想のうちに、押っかぶさってくる憂愁のうちに、彼女は夜を明かした。昼になると、少し気分をはっきりさせたいと思って、ちょっと外に出てみた。なお頭が痛みつづけてはいたが、目当てを定めるために、ある大きな店へ買い物に行った。自分が何をしてるのかほとんど考えていなかった。なんとはなしに、始終クリストフのことを考えていた。疲れきったたまらなく悲しい気持で、人込みの中を歩いていると、街路の向こう側の歩道に、クリストフが通るのを見つけた。彼のほうでも同時に彼女を見た。ただちに――(なんの考えもなくとっさにだったが)――彼
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