を話し合い、とりとめもないことを語り合い、馬鹿《ばか》げた笑い方をし、うれしそうに眼を輝かしながら、淫逸《いんいつ》な話をつづけるので、そういう会話の中に出ると彼は面食《めんくら》ってしまった。そしてミルハが立ち去るとほっと安堵《あんど》するのだった。二人の女をいっしょにすると、彼には言葉のわからない外国の土地のように思われた。考えを通じ合うことができなかった。彼女らは彼の言葉には耳も傾けず、外国人たる彼を馬鹿にしていた。
アーダと二人きりの時には、やはり違った二つの言葉を使いはしたが、それでもたがいに了解するために、二人とも少なくも努力はしていた。しかし実を言えば、彼は彼女を了解すればするほど、ますます了解していないのであった。彼女は彼が知った最初の女性だった。あの憐《あわ》れなザビーネも女性の一人ではあったが、彼は彼女を少しも知っていなかった。彼にとっては、彼女はただ心の夢だけとなっていた。しかるにアーダは、空費した時を回復させる役目となった。彼はこんどこそ女性の謎《なぞ》を解こうとつとめた――おそらくはなんらかの意義を求めようとする人々にとってしか謎ではないところの謎を。
アーダは少しの知力もそなえていなかった。がそれはまだ些細《ささい》な欠点だった。もし彼女がそれをあきらめていたら、クリストフもそれをあきらめたろう。しかし彼女は、つまらないことにばかり頭を向けていながらも、精神的な事柄にも通じてると自負して、確信をもって万事を判断した。音楽のことを話しては、クリストフが最もよく知ってる事柄を彼に説明してやり、判定を下して頑《がん》として応じなかった。彼女を説伏しようとしても無駄《むだ》だった。彼女は万事にたいして主張と疑惑とをもっていた。やたらに気むずかしいことを言い、頑固《がんこ》で傲慢《ごうまん》であって、何物をも理解しようとはしなかった――理解することができなかった。実際何にもわからないということが、どうしても承知できなかった。もし彼女が、その欠点と美点とをもってただ生地《きじ》のままで満足していたなら、彼はさらにいかほどかよく愛してやったことだろう!
事実彼女は、考えるということをほとんど心にかけていなかった。食べ飲み歌い踊り叫び笑い眠ることだけを、心にかけていた。幸福にしていたいと思っていた。そしてそれは、もし成功していたらきわめて結構なことだったろう。元来彼女は、幸福なるために天賦の才をもっていて、大食であり、怠惰であり、淫蕩《いんとう》であり、クリストフをいやがらせまた面白がらせる無邪気な利己心をそなえていたし、約言すれば、友だちにたいしてではないが、仕合せにもそれをもってる本人にたいして人生を愉快ならしむるところの、ほとんどあらゆる悪徳をもっていたし――(それになお、幸福な顔つきをしていたが、この幸福な顔つきは、少なくともそれがきれいである以上は、すべて近寄る人たちの上に幸福を光被するものである)――かくて生存に満足すべき多くの理由がありはしたけれど、しかし満足するだけの知力さえそなえてはいなかった。健康そうな様子をし、あふれるばかりの快活さを有し、猛烈な食欲をそなえ、清新で、陽気で、美しい丈夫なこの娘は、自分の健康を気づかっていた。馬のように大食しながら、身体の弱いことを嘆いていた。あらゆる愚痴をこぼしていた、もう歩けない、もう息がつけない、頭痛がする、足が痛む、眼が痛む、胃が痛む、心が痛む、などと。あらゆるものを恐《こわ》がり、ばかに迷信家で、どこにでも何かの前兆を認めていた。たとえば食卓では、ナイフ、十字に組合したフォーク、客の数、ひっくり返ってる塩入れなどがあって、災難を避けるために沢山の禁呪《まじない》をしなければならなかった。散歩をしてると、鳥の数を数え、それがどちらへ飛ぶかをかならず観察した。また心配そうに足下の道をうかがい、もし午前中に蜘蛛《くも》が通るのを見つけると、非常に悲しがって、引返したがった。それをむりにつづけて散歩させるには、もう正午過ぎなので前兆は凶から吉へ変ったのだと説き伏せるより外に、なんらの手段もなかった。また夢を気にしていた。彼女はいつも長々とクリストフに夢の話をした。そのちょっとした些事《さじ》を忘れても、幾時間もかかって思い出そうとした。ただ一つの事柄も彼に聞かせないではおかなかった。それはまったく荒唐|無稽《むけい》な事柄の連続であって、おかしな結婚、死人、裁縫女、王侯、滑稽《こっけい》なまた時には猥褻《わいせつ》な事柄、などが問題になっていた。彼はそれに耳を傾けなければならないし、意見を吐かなければならなかった。彼女はそれらの愚にもつかない幻影に、終日つきまとわれてることもしばしばだった。世の中は悪くできてるものだと考え、事物や人々をぶしつけにながめ、
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