その偶然の一致が彼らには不思議に思われた。午餐の時間が来るまでいっしょに少し歩こう、とクリストフは言い出した。彼らは野を横ぎって進んでいった。クリストフは幼い時からの知り合いででもあるかのように、親しくオットーの腕を取り、自分の将来の抱負を語った。彼は同じ年ごろの少年と交わることが非常に少なかったので、今、教育もあり育ちもりっぱで、自分に同情をもってる、その少年といっしょにいることに、言い知れぬ喜びを感じていた。
 時間は過ぎていった。クリストフはそれに気づかなかった。ディーネルは若い音楽家から信頼の念を示されてるのに得意になって、彼の午餐の時間がすでに来てるのを注意しかねていた。がついにそれを思い出させなければならないと考えた。しかしちょうど林の中の坂道にさしかかっていた時で、まず頂まで行かなければいけないとクリストフは答えた。そして二人が頂までやってゆくと、クリストフは草の上にねそべって、そこに一日を過ごそうとでも思ってるようだった。十五、六分もたってからディーネルは、クリストフが身を動かそうともしそうにないのを見て、またおずおずと言ってみた。
「午餐は?」
 クリストフは頭の下に両手をやり長々と寝転んだまま、平然と言った。
「いいさ!」
 それから彼はオットーの方を眺め、そのびっくりした顔付を見、そして笑いだした。
「ここは実に気持がいい。」と彼は説明した。「僕は行かないよ。待ちぼうけさしてやるさ。」
 彼は半ば身を起こした。
「君は急ぐのかい。そうじゃないだろう。どうだい、こうしようじゃないか。いっしょに食事をしよう。僕が料理屋を一軒知ってる。」
 ディーネルは定めし異議をもち出したかったろう。だれかに待たれてるからではないが、不意の決心がつきにくかったからである。彼はいったい几帳面《きちょうめん》なたちで、前からちゃんと予定を作っておく方だった。しかしクリストフは、ほとんど拒むことを許さないような調子で尋ねたのだった。でディーネルはそれに引きずり込まれてしまった。二人はまた話しだした。
 料理屋へはいると、彼らの熱情は消えた。どちらが昼食をおごるかという重大な問題に、二人とも気をもんだ。どちらも、自分が昼食をおごって体面を見せようと、ひそかに考えていた、ディーネルは金持ちだからという理由で、クリストフは貧乏だからという理由で。彼らはその考えを露《あら》わには示さなかった。しかしディーネルは献立を注文しながらわざと主人公らしい調子を使って、自分の権利を肯定しようとつとめた。クリストフはその心持を覚《さと》って、他のこった料理を注文しながら、上手に出た。彼はだれにも劣らず懐《ふところ》ぐあいのよいことを示そうとした。ディーネルはまた新たに策をめぐらして、葡萄《ぶどう》酒を選む役目を受持とうとした。クリストフはそれをじろりとにらみつけて、その料理屋にある最も高価な地産葡萄酒を一|瓶《びん》、もって来さした。
 りっぱな食事に臨むと、彼らは気がひけた。もう話すこともなかった。窮屈そうなぎごちない様子で、こそこそ食べていた。するとにわかに、たがいに他人同士の間であることに気づいて、警戒し合った。会話を活気だたせようとつとめても、なんの甲斐《かい》もなく、じきに言葉が途絶えてしまった。初めの三十分ばかりは退屈でたまらなかった。が幸いにも、やがて食事の効果が現われてきた。二人の客はいくらか親しげに顔を見合わすようになった。とくにクリストフは、そういう御馳走《ごちそう》に慣れていなかったので、妙に饒舌《じょうぜつ》になった。彼は生活の困難を語った。オットーも心を開いて、自分もまた幸福ではないとうち明けた。彼は弱くて臆病《おくびょう》で、友人らに乗ぜられがちだった。彼らは彼を嘲《あざけ》り、皆の共通な態度を難ずることを彼に許さず、意地悪く彼をからかってばかりいた。――クリストフは拳《こぶし》を握りしめて、自分の前で彼らがそんなことをしたら、思い知らしてやると言った。――オットーもまた家の者から理解されていなかった。クリストフもそういう不幸を知りつくしていた。そして二人はたがいの不運を憐れみ合った。ディーネルの両親は、彼を商人にして父の後を継がせるつもりだった。しかし彼は詩人になることを望んでいた。たといシルレルのように町から逃げ出して、困苦と戦わなければならないとしても、詩人になるつもりだった。(それにもとより、父の財産はすっかり彼のものとなるはずだったし、その財産も僅少《きんしょう》なものではなかった。)彼は顔を赤らめながら、生の悲しみを歌った詩を書いたことがあると告白した。しかしクリストフがいかに願っても、それを誦《しょう》する気にはなりかねた。けれどもついに、感動のあまりむちゃくちゃな口調でその二、三句を聞かした。クリストフはそ
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