ストフはおかしくてたまらなかった。しかし彼は不運にもまたやってみようと考えた。そして手をふり上げたちょうどその時に、見ると、祖父の眼がじっと自分を眺めていた。まったく困ったことになった。老人は厳格であって、自分が当然受くべき尊敬になんらの悪戯《いたずら》をも加えることを許さなかった。二人は一週間以上もたがいに冷かな態度をとった。
 道が悪ければ悪いほど、クリストフにはいっそう面白く思われた。どの石の在処《ありか》も彼にとっては何かの意味となった。彼はその在処を皆知っていた。轍《わだち》の跡の凹凸《おうとつ》も、彼にとっては地理的の大変化であって、タウヌス連山などとほとんど匹敵するものだった。彼は自分の家のまわり二キロメートルばかりの地域にあるあらゆる凹凸の地図を、頭の中に入れていた。それで畝溝《うねみぞ》の間にできてる秩序を少し変えるような時には、自分は一隊の工夫を引連れた技師などに劣らぬ働きをするのだと思った。一塊の土の乾いた頂を踵《かかと》でふみつぶして、その下の方に掘られてる谷間を埋める時には、一日を無駄《むだ》には暮さなかったのだと考えた。
 時には、小馬車に乗った百姓に大道で出会うことがあった。向うは祖父をよく知っていた。二人は彼の横に乗った。それはこの世の楽園だった。馬は早く駆けた。クリストフはにこにこして喜んでいた。ただ、散歩してる他の人たちとすれちがう時だけは、真面目《まじめ》なゆったりした様子をして、いつも馬車に乗りつけてる人のようなふりをした。しかし心は自慢の念でいっぱいになっていた。祖父と百姓とは、彼をよそにして話をし合った。彼は二人の膝《ひざ》の間にかがまり、二人の腿《もも》に両方から押しつぶされる思いをし、やっと腰をかけ、またしばしばまったく腰をかけないでいることもあったが、それでも、嬉《うれ》しくてたまらなかった。返辞をされようとされまいとお構いなしに、声高く話をしかけた。馬の耳の動くのを眺めた。馬の耳って実に不思議な奴だ! 右へも左へも四方へ行き、前方へつっ立ち、横へ倒れ、後ろをふり向き、しかも放笑《ふきだ》さずにはおれないほどへんてこなふうでするのであった。彼は祖父をつねって、その耳に注意させようとした。しかし祖父にはそれが少しも面白くなかった。うるさいと言いながらクリストフに取り合わなかった。クリストフは考え込んだ。大人《おとな》と
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