的な順位をもってする。
 かくして作品全体は、交響曲の四つの楽章のように、四編となって現われる。
 第一編は、クリストフの若き生(曙《あけぼの》、朝、青年)を包括し、家庭および小さな郷国の狭い境域における、彼の感覚と心情との覚醒から、試錬までを含む。この試錬を経て彼は傷つくが、しかし、自己の使命と、自分に課された雄々しい苦悩と闘争との生活を、にわかに感得する。
 第二編(反抗、広場の市)は、当時の社会的および芸術的虚偽にたいして征途にのぼった、卒直な一徹過激な青年クリストフの騎馬行を――騾馬《らば》屋や役人や風車にたいして、ドイツおよびフランスの広場の市にたいして、彼がドン・キホーテ式に鎗《やり》を振うことを、反抗という一事のうちに一括する。
 第三編(家の中、アントアネット、女友だち)は、前編の狂暴な熱中と憎悪に対照する、穏かなしみじみとした雰囲気の中にあって、友情と純愛とへの哀歌である。
 最後に第四編(燃ゆる荊《いばら》、新らしき日)は、人生のさなかにおける大試錬であり、懐疑と暴虐な情熱の突風であり、魂の暴風雨であって、それはすべてを破壊しつくす恐れがあるが、しかし超自然的な曙《あけぼの》の初光を受けて、最後の晴朗に終る。
 カイエ・ド・ラ・キャンゼーヌの最初の版(一九〇四年二月――一九一二年十月)の各冊には、次の銘がつけられていた。それは昔、ゴチック式寺院では、脇間《わきま》の入口にすえられてる聖クリストフの像の、台石についていたものなのである。

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いかなる日もクリストフの顔を眺めよ、
その日|汝《なんじ》は悪しき死を死せざるべし。
[#ここで字下げ終わり]

 この銘は、著者のひそかな希願を表明したもので、ジャン・クリストフが著者にとってと同様に読者にとっても、苦難を通じてのよき伴侶《はんりょ》であり案内人であらんことを、祈ったものである。
 苦難はあらゆる人々に到来した。そして全世界の各地から著者のもとに届いた反応を信じてよければ、著者の希願は空には終らなかった。著者は今日その希願を新たに繰返す。始まってしかもなかなか終りそうもないこの紛擾《ふんじょう》の時代においては、ことにいつにもましてクリストフが、ぜひとも生きそして愛するの喜びを鼓吹する強い忠実な友であらんことを!
   一九二一年一月一日
[#地から2字上げ]パリーにて 
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