生活を共にしてきたのは、どうしてだったろうか。この少女をあの男といっしょに置いた痛ましい天の戯れは、何の意味だったろうか。天上には二重鍛えの鎖もあるもので、神は天使と悪魔とをつなぎ合わして喜ぶのであろうか。罪悪と潔白とが悲惨の神秘な牢獄《ろうごく》において室《へや》を同じゅうすることもあるのか。人間の宿命と呼ばるる一連の囚徒のうちにおいて、二つの額が、一つは素朴であり、一つは獰猛《どうもう》であり、一つは曙の聖《きよ》い白色に浸り、一つは劫火《ごうか》の反映で永久に青ざめている、二つの額が、相並ぶこともあるのか。その説明し難い配合をだれが決定し得たのか。いかにして、いかなる奇跡によって、この天の少女と地獄の老人との間に共同の生活が立てられたのか。何者が子羊を狼《おおかみ》に結びつけ得たのか。そして更に不可解なことには、何者が狼を子羊に愛着させ得たのか。なぜならば、その狼は子羊を愛していたではないか、凶猛なる者がか弱い者を慕っていたではないか、また九カ年間、天使は怪物によりかかって身をささえていたではないか。コゼットの幼年および青年時代、世の中への顔出し、生命と光明との方への潔《きよ》い生育、それらは皆この不思議な献身によってまもられていたのである。ここに問題は、言わば数限りない謎《なぞ》に分かれ、深淵《しんえん》の下に更に深淵が開けてきて、マリユスはもはや眩暈《げんうん》を感ぜずにはジャン・ヴァルジャンの方をのぞき込むことができなかった。その深淵のごとき男はそもそも何者であったろうか。
創世紀の古い比喩《ひゆ》は永久に真なるものである。現在のごとき人間の社会には、将来大なる光によって変化されない限り、常に二種の人間が存在する。一つは高きにある者であり、一つは地下にある者である。一つは善に従う者、すなわちアベルであり、一つは悪に従うもの、すなわちカインである。しかるに今、このやさしい心のカインは、そもそもいかなるものであったろうか。処女に対して、敬虔な心を傾けて愛し、彼女を監視し、彼女を育て、彼女をまもり、彼女を敬い、自ら不潔の身でありながら、純潔をもって彼女をおおい包むこの盗賊は、そもそもいかなるものであったろうか。無垢《むく》なる者を尊んで、それに一つの汚点をもつけさせなかったこの汚泥《おでい》は、そもそもいかなるものであったろうか。コゼットを教育したこのジャン
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