の足を置いても、よかったであろうか。コゼットとマリユスと共に、彼も幸運の分前《わけまえ》をもらってもよかったであろうか。自分の頭の上の曇りと彼らの上の雲とを深めても、さしつかえなかったであろうか。彼らふたりの至福に自分の覆滅を、第三者として付け加えてもよかったであろうか。やはり何も打ち明けないでもよかったであろうか。一言にして言えば、それらふたりの幸福な者のそばに、宿命の気味悪い沈黙としてすわっていても、さしつかえないのであったろうか。
人は常に宿命とその打撃とになれていて、ある種の疑問が恐ろしい赤裸の姿で現われてきても、あえて目をあげてそれを見つめ得るようになっていなければいけない。善と悪とはそのきびしい疑問の背後に控えている。「どうするつもりか、」とそのスフィンクスは尋ねる。
ジャン・ヴァルジャンはそういう試練になれていた。彼はそのスフィンクスをじっと見つめた。
彼はその残忍な問題をあらゆる方向から考究した。
あの麗しいコゼットは、難破者たる彼にとっては一枚の板子《いたご》であった。しかるに今やいかにすべきであったか。それに取りついているべきか。それを離すべきか!
もしそれに取りついていれば、彼は破滅から免れ、日光のうちに上ってゆき、衣服と頭髪とから苦い水をしたたらせ、救われ、生きながらえることができるのだった。
もしそれを離せば!
その時は深淵《しんえん》あるのみだった。
かく彼は自分の考えに悲痛な相談をなしてみた。あるいは更に適切に言えば、戦いを開いた。彼は心のうちで、あるいは自分の意志に対してあるいは自分の確信に対して、猛然として飛びかかっていった。
泣くことができたのは、ジャン・ヴァルジャンにとって一つの仕合わせだった。それはおそらく彼の心を晴らしたであろう。けれども争いの初めは激烈だった。一つの暴風雨が、昔彼をアラスの方へ吹きやったのよりもいっそう猛烈な暴風雨が、彼のうちに荒れ回った。過去は現在の前に再び現われてきた。彼はその両者を比較し、そしてすすり泣いた。一度涙の堰《せき》が開かるるや、絶望した彼は身をもだえた。
彼は道がふさがったのを感じていた。
ああ、利己心と義務との激戦において、昏迷《こんめい》し、奮激し、降伏を肯《がえ》んぜず、地歩を争い、何らかの逃げ道をねがい、一つの出口を求めつつ、巍然《ぎぜん》たる理想の前から一歩
前へ
次へ
全309ページ中226ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング