がいい。太陽に盲従するがいい。太陽とは何であるか? それは愛だ。愛と言わば婦人だ。ああそこにこそ全能の力はあるんだ。それが婦人だ。この過激派のマリユスに聞いてみるがいい、彼がこのコゼットという小さな暴君の奴隷《どれい》でないかどうかを。しかも甘んじてそうなってるではないか。実に婦人なるかなだ。ロベスピエールのごとき者でさえ長く地位を保つことはできない。常に婦人が君臨するのだ。わしがまだ王党だというのも、この婦人の王位に対してのことだ。アダムは何であるか? それはイブの王国だ。イヴにとっては八九年([#ここから割り注]一七八九年[#ここで割り注終わり])の事変なんかはない。百合《ゆり》の花を冠した国王の笏《しゃく》はあった、地球を上にのせた皇帝の笏はあった、鉄でできたシャールマーニュ大帝の笏はあった、黄金でできたルイ大王の笏はあった、けれども革命は、親指と人差し指とで、一文のねうちもない藁屑《わらくず》のようにそれらをへし折ってしまった。廃せられ砕かれ地に投ぜられて、もはや笏はなくなっている。ところが、蘭麝《らんじゃ》のかおりを立てる刺繍《ししゅう》した小さなハンカチに対して、革命をやれるならやってみるがいい。一つ見たいものだ。やってみなさい。なぜそれが強固かと言えば、一片の布だからだ。ああ諸君は十九世紀ですね。どうです。われわれは十八世紀の者です。そしてわれわれも諸君と同じくらいにばかであった。しかし諸君は、ころり[#「ころり」に傍点]がコレラ病と言われるようになり、ブーレ踊りがカチューシャ舞踏と言われるようになったからと言って、世界に大変化をきたしたと思ってはいけません。根本においては、常に婦人を愛せざるを得ないでしょう。その原則からはだれだってなかなか出られるものではない。それらの鬼女がわれわれの天使である。そうだ、愛と婦人と脣《くち》づけ、その世界からだれも出られるものではない。わしはむしろそこにはいりたいと思うくらいだ。ヴィーナスの星([#ここから割り注]金星[#ここで割り注終わり])が、天空の偉大な洒落女《しゃれおんな》が、大洋のセリメーヌが、あらゆるものをおのれの下に静めながら、海の波濤《はとう》をも一婦人のように物ともしないで、無窮の空に上ってゆくのを、諸君のうちに見られた方がありますか。大洋はすなわち謹厳なアルセストです([#ここから割り注]訳者注
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