いなかった。
 現今十九世紀の後半においては、区長とその飾り帯、牧師とその法衣、法律と神、それだけでは足りなくなっている。それに加うるに、ロンジュモーの御者([#ここから割り注]訳者注 美声を持ったある駅馬車の御者が結婚の間ぎわに女をすててオペラ役者になって浮かれ歩くという歌劇中の人物[#ここで割り注終わり])をもってしなければならない。赤い縁取りと鈴ボタンのついてる青い上衣、延べ金の腕章、緑皮の股衣、尾を結んだノルマンディー馬への掛け声、にせの金モール、塗り帽子、髪粉をつけた変な頭髪、大きな鞭《むち》、および丈夫な長靴《ながぐつ》。けれどもフランスではまだ、イギリスの貴族がするように、新郎新婦の駅馬車の上に底のぬけた上靴や破れた古靴などをやたらに投げつけるほど、優美のふうが進んではいない。その風習は、結婚の当日伯母の怒りを買って古靴を投げつけられたのがかえって僥倖《ぎょうこう》になったという、マールボルーあるいはマルブルーク公となったチャーチル(訳者注 十八世紀はじめのイギリスの将軍でおどけ唄の主人公として伝説的の人物となった人)に由来するものである。そういう古靴や上靴は、まだフランスの結婚式にははいってきていない。しかし気長に待つがいい。いわゆるいい趣味はだんだんひろがってゆくもので、やがてはそれも行なわれるようになるだろう。
 一八三三年には、また百年以前には、馬車を大駆けにさせる結婚式などというものは行なわれていなかった。
 変に思われるかも知れないが、その頃の人の考えでは、結婚というものはごく打ち解けた公《おおやけ》の祝いであり、淳朴《じゅんぼく》な祝宴は家庭の尊厳を汚するものではなく、たといそのにぎわいは度を越えようと、猥《みだ》らなものでさえなければ、少しも幸福の妨げとなるものではないとされ、また、やがて一家族が生まれいずべきふたりの運命の和合をまず家の中で始め、同棲《どうせい》生活がその楔《くさび》として長く結婚の室《へや》を有することは、至って尊い善良なことだとされていた。
 そして人々は、不謹慎にも自宅で結婚をしたのである。
 マリユスとコゼットとの結婚も、現今|廃《すた》っているその風習に従って、ジルノルマン氏の家でなされた。
 教会堂に掲示すべき予告、正式の契約書、区役所、教会堂、それら結婚上の仕事はごく当然な普通なことではあるが、いつも多少
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