持って象牙の塔[#「象牙の塔」に傍点]([#ここから割り注]聖母マリア[#ここで割り注終わり])を歌うよりも、よほど勝《まさ》っている。」
祖父は九十歳の踵《かかと》でくるりと回って、発条《ばね》がとけるような具合に言い出した。
[#ここから2字下げ]
「かくてアルシペよ、夢想に限界《かぎり》を定めて、
やがて汝《な》が婚姻するは、まことなるか。
[#ここで字下げ終わり]
時にね。」
「何です、お父さん。」
「お前には親しい友だちがあったか。」
「ええ、クールフェーラックという者です。」
「今どうしてる?」
「死んでいます。」
「それでいい。」
彼はふたりのそばに腰を掛け、コゼットにも腰掛けさし、彼らの四つの手を自分の年老いた皺《しわ》のある手に取った。
「実にりっぱな娘さんだ。このコゼットはまったく傑作だ。小娘でまた貴婦人だ。男爵夫人には惜しい。生まれながらの侯爵夫人だ。睫毛《まつげ》もりっぱだ。いいかね、お前たちは本当の道を踏んでるということをよく頭に入れとかなくてはいかん。互いに愛し合うんだ。愛してばかになるんだ。愛というものは、人間の愚蒙《ぐもう》で神の知恵だ。互いに慕い合うがいい。ただ、」と彼は急に沈み込んで言い添えた、「一つ悲しいことがある。それがわしの気がかりだ。わしの財産の半分以上は終身年金になっている。わしが生きてる間はいいが、わしが死んだら、もう二十年もしたら、かわいそうだが、お前たちは一文なしになる。男爵夫人たるこのまっ白な美しい手も、食うために働かなくてはならないことになるだろう。」
その時、荘重な落ち着いた声が聞こえた。
「ウューフラジー・フォーシュルヴァン嬢は、六十万フランの金を持っています。」
その声はジャン・ヴァルジャンから出たのだった。
彼はその時まで一言も口をきかずにいた。だれも彼がそこにいることさえ知らないがようだった。そして彼は幸福な人々のうしろにじっと立っていた。
「ウューフラジー嬢というのは何のことだろう?」と祖父はびっくりして尋ねた。
「私です。」とコゼットは答えた。
「六十万フラン!」とジルノルマン氏は言った。
「たぶん一万四、五千フランはそれに足りないかも知れませんが。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
そして彼はジルノルマン嬢が書物だと思っていた包みをテーブルの上に置いた。
ジャン・ヴァルジャンは自ら
前へ
次へ
全309ページ中183ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング