カ月余りも長椅子《ながいす》の上に身を横たえていなければならなかった。いつまでも口のふさがらない傷が残って、手当てを長引かし、病人をひどく退屈がらせることがよくある。
しかし、その長い病と長い回復期とのために、彼は官憲の追求を免れた。フランスにおいてはいかなる激怒も、公《おおやけ》の激怒でさえ、六カ月もたてば消えてしまう。それに当時の社会状態にあっては、暴動はだれでもしやすい過失であって、それに対してはある程度まで目を閉じてやらなければならなかった。
なおその上、ジスケの無茶な命令は、負傷者を申し出るように医者に強《し》いて、輿論《よろん》を激昂《げっこう》さし、また輿論のみでなく第一に国王をも激昂さしたので、負傷者らはその激昂のために隠匿され保護された。そして軍法会議では、戦争中に捕虜となった者のほかは、いっさい不問に付することに決した。それでマリユスは無事のままでいることができた。
ジルノルマン氏は最初あらゆる心痛を経て、次にあらゆる狂喜を感じた。毎晩負傷者の傍《そば》で夜を明かすのをやめさすのは、非常な骨折りだった。彼はマリユスの寝台のそばに自分の大きな肱掛《ひじか》け椅子《いす》を持ってこさした。圧定布や繃帯を作るためには家にある最上の布を使うように娘に言いつけた。けれどもジルノルマン嬢は、年取った悧巧《りこう》な女だったので、老人の命に従うように見せかけながら、最上の布は皆しまっておいた。綿撒糸《めんざんし》を作るにはバチスト織りの布よりも粗悪な布の方がよく、新しい布よりも擦《す》り切れた布の方がよいということを、ジルノルマン氏はどうしても承認しなかった。手当ての時には、ジルノルマン嬢は謹《つつし》んで席をはずしたが、ジルノルマン氏はいつもそこについていた。鋏《はさみ》で死肉を切り取る時、彼はいつも自ら「いた、いたい!」とうめいていた。震えを帯びてる老衰した姿で病人に煎薬《せんやく》の茶碗《ちゃわん》を差し出してる所は、見るも痛ましいほどだった。彼はやたらにいろんなことを医者に尋ねた。そしていつも同じ質問を繰り返してることには自ら気づかなかった。
マリユスがもう危険状態を脱したと医者から告げられた日、老人は常識を失った。彼は門番に慰労としてルイ金貨を三つ与えた。その晩自分の室《へや》に退くと、親指と人差し指とでカスタネットの調子を取って、ガヴォット
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