そういう者はよく考えて見たまえ。自分の身を犠牲にする、自分は死ぬ、それはかまわぬ、しかし明日は? パンに窮する若い娘、それは恐ろしいことではないか。男は食を乞《こ》うが、女は身を売る。あああのうるわしいやさしい可憐《かれん》な娘ら、花の帽子をかぶり、歌いさえずり、家の中に清らかな気を満たし生きたる香のようであり、地上における処女の純潔さで天における天使の存在を証する者、ジャンヌやリーズやミミ、諸君の恵みであり誇りである愛すべき正直なる者、彼女らが飢えんとするのである。ああ何と言ったらいいか。世には人の肉体の市場がある。彼女らがそこにはいるのを防ぐのは、彼女らのまわりにうち震える諸君の影の手がよくなし得るところではない。街路に、通行人でいっぱいになってる舗石《しきいし》の上に、商店の前に、首筋をあらわにし泥にまみれてさまよう女のことを考えて見たまえ。その女どももまたもとは純潔だったのだ。妹を持ってる者は妹のことを考えてみるがいい。困窮、淫売《いんばい》、官憲、サン・ラザール拘禁所、そういう所に、あのうるわしい、たおやかな娘らは、あの五月のライラックの花よりもなおさわやかな貞節と温順と美とのもろい宝は、ついに落ちてゆくのだ。ああ諸君は身を犠牲にする、諸君はもはや生きていない。それは結構だ。諸君は民衆を王権から免れさせようと欲したのだ。しかもまた諸君は自分の娘を警察の手に渡すのである。諸君、よく注意したまえ、あわれみの心を持ちたまえ。婦人らのことを、不幸なる婦人らのことを、われわれは普通あまり念頭に置いていない。婦人らが男のごとき教育を受けていないことに自ら得意となり、彼女らの読書を妨げ、彼女らの思索を妨げ、彼女らが政治に干与するのを妨げている。そこで今晩彼女らが、死体公示所へ行って諸君の死屍《しし》を見分けんとするのを、初めからさせないようにしてはどうか。家族のある者はわれわれの言に従い、われわれと握手して立ち去り、われわれをここに残して自由に働かしてくれてはどうか。むろん立ち去るには勇気が必要である。それは困難なことだ。しかし困難が大なるほど、価値はますます大である。諸君は言う、俺《おれ》は銃を持っている、俺は防寨《ぼうさい》にきている、どうでも俺は去らないと。どうでもと、そう口で言うのはたやすい。しかし諸君、明日というものがある。その明日には、諸君はもう生きていない
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