一種の壮烈さによってその恐ろしさを贖《あがな》われることがある。火刑や難破のおりなどには、人は偉大となることがある。炎や白波の中においては、崇高な態度も取られる。そこでは滅没しながら偉大な姿と変わる。しかし下水の中ではそうはゆかない。その死は醜悪である。そこで死ぬのは屈辱である。最後に目に浮かぶものは汚穢である。泥土は不名誉と同意義の言葉である。それは小さく醜くまた賤《いや》しい。クレランス([#ここから割り注]訳者注 イギリスのエドワード四世の弟で、王に背いた後死刑に処せられた時、自ら葡萄酒の樽の中の溺死の刑を求めたと伝えられている[#ここで割り注終わり])のように芳香|葡萄酒《ぶどうしゅ》の樽《たる》の中で死ぬのはまだいいが、エスクーブロー([#ここから割り注]訳者注 本章末節参照[#ここで割り注終わり])のように溝浚人《どぶさらいにん》の墓穴の中で死ぬのはたまらない。その中でもがくのは醜悪のきわみである。死の苦しみをしながら泥水中《でいすいちゅう》を歩くのである。地獄と言ってもいいほどの暗黒があり、泥穴と言ってもいいほどの泥濘《でいねい》があって、その中に死んでゆく者は、果たして霊魂となるのか蛙《かえる》となるのかを自ら知らない。
 墳墓はどこにあっても凄惨《せいさん》なものであるが、下水道の中では醜悪なものとなる。
 崩壊孔の深さは一定でなく、またその長さや密度も場所によって異なり、地層の粗悪さに比例する。時とすると、三、四尺の深さのこともあれば、八尺から十尺にもおよぶことがあり、あるいは底がわからぬこともある。その泥土はほとんど固くなってる所もあれば、ほとんど水のように柔らかい所もある。リュニエールの崩壊孔では、ひとりの人が没するに一日くらいかかるが、フェリポーの泥濘では五分間くらいですむ。泥土の密度いかんに従ってその支持力にも多少がある。大人が没しても子供なら助かる所がある。安全の第一要件は、あらゆる荷物を捨ててしまうことにある。足下の地面が撓《しな》うのを感ずる下水夫らは、いつもまず第一に、その道具袋や負《お》い籠《かご》や泥桶《どろおけ》を投げ捨てるのであった。
 崩壊孔のできる原因は種々である。地質の脆弱《ぜいじゃく》、人の達し得ないほど深い所に起こる地すべり、夏の豪雨、絶え間ない冬の雨、長く続く霖雨《りんう》など。また時とすると、泥灰岩や砂質の地
前へ 次へ
全309ページ中130ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング