ど実現している。整然として薄ら明るく、墨繩《すみなわ》で設計され、あたかも裃《かみしも》をつけたようにきちんとしている。一介の町人が国家の顧問官となったようにかしこまっている。中にはいってもたいてい明らかに見える。汚泥《おでい》も端正に控えている。一見した所では、あの昔の地下廊下かとも思われやすい。地下廊下は、「民衆が王を愛していた」古いのんきな時代には、少しも珍しくないもので、王侯たる人々が逃走するのに至って便利なものだった。かく今日の下水道は美しい下水道である。純粋な様式ですべて支配されている。直線的なアレキサンドリア式古典味は、詩から追い払われて、建築のうちに逃げ込んだらしく、この長い薄暗いほの白い丸天井のあらゆる石に交じっているかと思われる。各出口は皆|迫持《せりもち》になっている。リヴォリ街の所は溝渠《こうきょ》の中においても一派をなしている。その上、幾何学的な線が最も適当した場所を求むれば、それはまさしく大都市の排泄濠《はいせつごう》であろう。そこではすべてが最も短距離の道を選ばなければならない。下水道は今日多少官省ふうな趣を呈している。時として警察は下水道に関する報告をなすが、もはやその中でも敬意を欠かされてはいない。それに対する公用語中の単語も、上等になって品位をそなえている。腸と言われていたものも今日では隧道《すいどう》と言われ、穴と言われていたものも今日では検査孔と言われている。もしヴィヨンが昔の予備の住居を尋ねても、今はその影さえ見つけ得ないだろう。しかしこの網の目のような窖《あなぐら》の中にはやはり、昔からの齧歯獣《げっしじゅう》の民が住んでいて、昔よりかえって多いくらいである。時々、古猛者の鼠《ねずみ》が下水道の窓から首を出してみて、パリーの者らをのぞくことがある。けれどもその寄生動物でさえ、おのれの地下の宮殿に満足して温和になっている。もう汚水溝渠には初めのような獰猛《どうもう》さは少しもない。雨水は昔の下水道を汚していたが、今日の下水道を洗い潔《きよ》めている。とは言えあまり安心しすぎてはいけない。有毒ガスはまだそこに住んでいる。完全無欠というよりも、むしろ偽善である。警視庁と衛生局とでいかに力をつくしても及ばなかった。あらゆる清潔法が講ぜられたけれども、今になお、懺悔《ざんげ》した後のタルテュフ([#ここから割り注]訳者注 モリエール
前へ 次へ
全309ページ中105ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング