機官の帽をかぶった豚がついており、他の面には、法王の冠をかぶった狼がついていた。
 大溝渠《だいこうきょ》の入り口の所で、最も意外なものに人々は出会った。その入り口は、昔は鉄格子《てつごうし》で閉ざされていたのであるが、もう肱金《ひじがね》しか残っていなかった。ところがその肱金の一つに、形もわからないよごれた布が下がっていた。おそらく流れてゆく途中でそこに引っかかって、やみの中に漂い、そのまま裂けてしまったものだろう。ブリュヌゾーは角燈をさしつけて、そのぼろを調べていた。バチスト織りの精巧な麻布で、いくらか裂け方の少ない片すみに、冠の紋章がついていて、その上に LAUBESP という七文字が刺繍《ししゅう》してあった。冠は侯爵の冠章だった。七文字は Laubespine([#ここから割り注]ローベスピーヌ[#ここで割り注終わり])という女名の略字だった。一同は眼前のその布片がマラーの柩布《ひつぎぎれ》の一片であることを見て取った。マラーには青年時代に情事があった。それは獣医としてアルトア伯爵の家に寄寓《きぐう》していた頃のことである。歴史的に証明されてるある一貴婦人との情事から、右の敷き布が残っていた。偶然に取り残されていたのか、あるいは記念として取って置かれたのか、いずれかはわからないがとにかく、彼が死んだ時家にある多少きれいな布と言ってはそれが唯一のものだったので、それを柩布《ひつぎぎれ》としたのであった。婆さんたちは、この悲劇的な民衆の友[#「民衆の友」に傍点]を、歓楽のからんだその布に包んで、墳墓へ送りやったのである。
 ブリュヌゾーはそこを通り越した。一同はぼろをそのままにしておいて手をつけなかった。それは軽蔑からであったろうか、あるいは尊敬からであったろうか? ともあれマラーはそのいずれをも受けるの価値があった。その上宿命の跡はあまりに歴然としていて、人をしてそれに触れることを躊躇《ちゅうちょ》さしたのである。もとより、墳墓に属する物はそれが自ら選んだ場所に放置しておくべきである。要するにその遺物は珍しいものであった。侯爵夫人がそこに眠っており、マラーがそこに腐っていた。パンテオンを通って、ついに下水道の鼠《ねずみ》の中に到着したのである。その寝所の布片は、昔はワットーによってあらゆる襞《ひだ》まで喜んで写されるものであったが、今はダンテの凝視にふさわし
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