掛けとし、悲しげにおのれの所業をぬぐい消している。ルイ十一世はトリスタンと共におり、フランソア一世はデュプラーと共におり、シャール九世は母親と共におり、リシュリユーはルイ十三世と共におり、ルーヴォアも、ルテリエも、エベールも、マイヤールもおり、皆石を爪《つめ》でかきながら、おのれの行為の跡を消そうと努めている。それらの洞穴《どうけつ》の中には、幽鬼らの箒《ほうき》の音が聞こえる。社会の災害の大なる悪臭が呼吸される。片すみには赤い反映が見える。そこには血のしたたる手が洗われた恐ろしい水が流れている。
 社会観察者はそれらの影の中にはいらなければいけない。それらの影も社会実験室の一部をなす。哲学は思想の顕微鏡である。すべてはそれから逃げようと欲するが、何物もそれから脱することはできない。方々逃げ回ってもむだである。逃げ回りながら人はいかなる方面を示すか? 不名誉な方面をではないか。哲学は活眼をもって悪を追求し、虚無のうちにのがれ去るのを許さない。消滅する事物の塗抹《とまつ》のうちにも、消え失《う》する事物の縮小のうちにも、哲学はすべてを認知する。ぼろを再び緋衣《ひい》となし、化粧品の破片を再び婦人となす。汚水溝渠《おすいこうきょ》で都市を再び作り出し、泥土《でいど》で再び風俗を作り出す。陶器の破片を見ては、壺《つぼ》や瓶《びん》を結論する。羊皮紙の上の爪跡《つめあと》で、ユーデンガスのユダヤ居住地とゲットーのユダヤ居住地との差を見て取る。今残っているもののうちに、かつてありしものを見いだす、すなわち、善、悪、偽、真、宮殿内の血痕《けっこん》、洞窟《どうくつ》の墨痕《ぼくこん》、娼家《しょうか》の蝋《ろう》の一滴、与えられた苦難、喜んで迎えられた誘惑、吐き出された遊楽、りっぱな人々が身をかがめつつ作った襞《ひだ》、下等な性質のために起こる心のうちの汚涜《おどく》の跡、ローマの人夫らの短上衣にあるメッサリナ([#ここから割り注]訳者注 クラウディウス皇帝の妃にして淫乱で有名な女[#ここで割り注終わり])の肱《ひじ》の跡、などを見いだすのである。

     三 ブリュヌゾー

 パリーの下水道は、中世においては伝説的な状態にあった。十六世紀に、アンリ二世はその測量を試みたが、失敗に終わった。メルシエの立証するところによれば、今から百年足らず前までは、下水道はまったく放棄され
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