、一歩も枉《ま》ぐることのできない各人の自己に対する主権、正義、真理、などである。そして場合によっては、三百人のスパルタ人([#ここから割り注]訳者注 テルモピレにおいてレオダニスに率いられし兵士[#ここで割り注終わり])のごとくに死するであろう。頭に浮かべるのは、ドン・キホーテのことではなくレオニダスのことである。そして彼らは前方に進んでゆく。一度踏み出せばもはや退くことをしない。頭をかがめてまっしぐらに突進する。希望として心にいだくところのものは、前代未聞の勝利、完成されたる革命、自由の手に託されたる進歩、人類の成長、世界の救済などである。またいかに失敗しようとも、結局テルモピレに過ぎない。
 進歩のためのかかる戦いは、しばしば失敗するものであって、その理由は上に述べきたったとおりである。群集は冒険騎士の誘導に従わない。重々しい集団は、多衆は、自身の重さのためにかえってこわれやすいものであって、冒険を恐れる。理想のうちには多少の冒険がある。
 その上、忘れてならないことには、利害の念もそこに交じってくる。利害の念は理想と情操とに親しみ難い。時としては、胃袋は心を麻痺《まひ》させる。
 フランスの偉大と美とは、他の民衆よりも腹に重きを置くことが少ないところにある。フランスは最も平然と自ら腰に麻繩《あさなわ》をまとう。最初に目ざめ、最後に眠る。まっすぐに前進する。実に一つの探求者である。
 それはフランスが芸術家だからである。
 理想は論理の頂点にほかならない。同様に、美は真なるものの頂にほかならない。芸術家たる民衆は、終始一貫する民衆である。美を愛することは光明を欲することである。それゆえに、ヨーロッパの炬火《たいまつ》は、換言すれば文化の炬火は、まずギリシャによって担《にな》われ、ギリシャはそれをイタリーに伝え、イタリーはそれをフランスに伝えた。光り輝く神聖なる民衆らよ! 彼らは生命のランプを人に伝う[#「彼らは生命のランプを人に伝う」に傍点]。
 賛美すべき事には、民衆の詩は民衆の進歩の要素である。文化の量は想像力の量によって測られる。ただし、文化の普及者たる民衆は強健なる民衆でなければならない。コリントはそうである。シバリスはそうでない。柔弱に陥るものは衰微する。愛好者であっても堪能者《たんのうしゃ》であってもいけない。ただ芸術家でなければならない。文化の事
前へ 次へ
全309ページ中73ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング