り人影もなかった。窓も扉《とびら》も皆しめ切ってあった。そして奥に立っている防壁のために、あたかも袋町のようになっていた。防壁は不動のまま静まり返っていた。何らの人影も見えず、何らの音も聞こえなかった。一つの叫び声もなく、一つの物音もなく、息の音さえもなかった。まったく一つの墳墓だった。
 六月のまぶしい太陽は、その恐るべき物の上に一面の光を浴びせていた。
 これが、タンプル[#「タンプル」は底本では「タンブル」]郭外の防寨《ぼうさい》であった。
 この場所に行ってそれをながむると、最も豪胆な者でもその神秘な出現の前に考え込まざるを得なかった。それはよく整い、よく接合し、鱗形《うろこがた》に並び、直線をなし、均斉《きんせい》を保ち、しかも凄惨《せいさん》な趣があった。学理と暗黒とがこもっていた。防寨《ぼうさい》の首領は、幾何学者かもしくは幽鬼かと思われた。人々はそれをながめ、そして声低く語り合った。
 時々、兵士か将校かあるいは代議士かだれかが、偶然その寂しい大道を通りかかると、鋭いかすかな音がして、通行者は負傷するか死ぬかして地に倒れた。もし幸いにそれを免れる時には、閉ざされた雨戸か、素石の間か、壁の漆喰《しっくい》かの中に、一発の弾《たま》がはいり込むのが見られた。時とするとそれはビスカイヤン銃のこともあった。防寨の人々は多く、一端を麻屑《あさくず》と粘土とでふさいだ鋳鉄のガス管二本で、二つの小さな銃身をこしらえていた。ほとんど火薬をむだに費やすことはなかった。弾はたいてい命中した。そこここに死体が横たわって、舗石《しきいし》の上には血がたまっていた。また著者は、一匹の白い蝶《ちょう》が街路を飛び回ってたことを記憶している。さすがに夏の季節だけは平然としていた。
 付近の大きな門の下には、負傷者がいっぱいはいっていた。
 そこでは、姿を隠してるだれかから常にねらわれるような感があった。明らかに街路中どこででもねらい打ちにされるらしかった。
 タンプル郭外の入り口に運河の円橋がこしらえてる驢馬《ろば》の背中ほどの空地の後ろに、攻撃縦列をなして集まってる兵士らは、そのものすごい角面堡《かくめんほう》を、その不動の姿を、その冷然たる様を、しかも死を招くその場所を、まじめな考え込んだ様子で偵察《ていさつ》していた。ある者らは、帽子が向こうに見えないように注意しながら、穹
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