その次にはまた薄闇《うすやみ》が落ちてきた。間を置いては深い遠いとどろきが聞こえて、雲のうちにある多量の雷電を思わした。
 七月革命からようやく二十カ月をも経ないうちに、一八三二年は恐ろしい切迫せる姿をして現われてきた。民衆の窮迫、パンなき労働者、闇のうちに消えた最後のコンデ侯、パリーがブールボン家を追い出したようにナッソー家を追い出したブラッセル、フランスの一王族を望みながらイギリスの一王族に与えられたベルギー、ロシアのニコラス一世の恨み、背後には南方の二人の悪魔、すなわちスペインのフェルヂナンドとポルトガルのミグエル、イタリーの動揺せる土地ボロニャに手を伸ばしたメッテルニッヒ、アンコナにおいてにわかにオーストリアに対抗して立ったフランス、北方においてはポーランドをその柩《ひつぎ》のうちに釘《くぎ》づけにする金槌《かなづち》の名状すべからざる凄惨《せいさん》な響き、全ヨーロッパ中にはフランスをうかがってるいら立った目つき、身をかがむる者はつき倒し、倒るる者の上には飛びかからんと待ち構えてる、不信なる同盟者イギリス、法律に対して四人の死刑を拒まんためにベッカリアの背後に潜んでる上院、王の馬車から塗抹《とまつ》された百合《ゆり》の花、ノートル・ダーム寺院からもぎ取られた十字架、衰運になったファイエット、零落したラフィット、窮乏のうちに死んだバンジャマン・コンスタン、権力失墜のうちに死んだカジミール・ペリエ、思想の都と労働の都との王国の両首府に同時に発生した政治的病気と社会的病気、すなわちパリーにおける内乱とリオンにおける暴動、両都市のうちに見える同じ烈火の光、民衆の額に見える噴火口の火炎、熱狂せる南部、混乱せる西部、ヴァンデ地方に潜んでるベリーの公妃、密計、陰謀、反乱、コレラ病、すべてそれらの事変の陰惨な騒擾《そうじょう》が思想の陰惨な動揺の上になお加わっていたのである。

     五 歴史の知らざる根源の事実

 四月の末にはすべてが重大になっていた。発酵は沸騰となっていた。一八三〇年以来、ここかしこに小さな局部的暴動が起こっていた。それらは直ちに鎮定されたがいつも再び起こってきて、下層の広大なる大火を示すものであった。何か恐るべきものが孵化《ふか》されつつあった。可能なる革命の輪郭がまだおぼろげにではあったがほの見えていた。全フランスはパリーをながめ、全パリーは
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