治上の法律は、神法の一分枝に過ぎなくて、ブールボン家自らそれを折り取って、王が再び手にせんと欲する日まで人民に許し与えたものであると。しかしながら、人民へのその贈り物は実はブールボン家から贈ったものでないということを、それがたとい不快であろうともブールボン家自身感ずべきはずだったのである。
 ブールボン家は十九世紀には至って神経質であった。そして国民が翼をひろげるごとに悪い顔つきをした、平凡なる、すなわち通俗で真実なる言葉を使えば、渋面を作った。民衆はそれを見たのである。
 ブールボン家は、自分の前に帝政が劇場の大道具のごとく運び去られてしまったゆえに、自ら力を持っているものと信じた。しかし、ブールボン家自身も同じようにして持ちきたされたものであることに気づかなかった。自分もまたナポレオンを奪い去った同じ手の中にあることを知らなかった。
 ブールボン家は、自分は過去であるゆえに確固たる根を持っていると信じた。しかしそれは誤解であった。ブールボン家は過去の一部分のみであって、全過去はフランス自身であった。フランス社会の根はブールボン家の中にはなくて、国民のうちにあった。その人知れぬ頑丈《がんじょう》なる根は、一王家の権利を組織するものではなくて、一民衆の歴史を組み立てるものであった。その根は至る所にあって、ただ国王の座の下にのみ欠けていたのである。
 ブールボン家は、フランスにとってはその歴史の血にまみれたる顕著なる結び目であった。しかしもはや、その運命の主要なる要素ではなく、その政治の必要なる柱石ではなかった。ブールボン家なくとも事は足りた。実に二十二年間はブールボン家なくして済まされたのである。そこに連続は中断されていた。しかしブールボン家はそれを毫《ごう》も知らなかった。実際、ルイ十七世はなお共和熱月九日(一七九四年七月二十七日)にも君臨しルイ十八世はマレンゴーの戦いの日にも君臨していたのであると想像したブールボン家は、いかにしてそれを知る術《すべ》があったであろうか。有史以来かつて、事実の現前に対して、事実が含有し公布する神聖なる権力の配当の現前に対して、かくまで盲目なる君主は存しなかった。かつて、国君の権利と称せらるる地上の主張によって、かくまで天上の権利が拒まれたことはなかった。
 ブールボン家をして、一八一四年に「欽定《きんてい》された」保証の上に、彼ら
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