@le dail comment meck, le daron des orgues, peut atiger ses mo^mes et ses momignards et les locher criblant sans e^tre atige' lui−me^me.〕
(なぜに人の父なる神は、おのが子や孫を苦しめ、その泣き声を聞きても自ら心を痛めないか、私は了解することを得ない。)
[#ここで字下げ終わり]
悲惨なる者は、少しく思いめぐらす暇を持つごとに、法律の前に自ら小さくなり、社会の前に自ら弱くなる。彼はそこに平伏し、懇願し、憐愍《れんびん》の方を仰ぎ見る。あたかも自分の非をよく知ってるかのようである。
ところが十八世紀の中葉頃に、一つの変化が起こった。監獄の歌は、盗賊のきまりの歌は、横柄な元気な身振りを示した。嘆息的な反覆語 〔malure'〕 は larifla と変わった。十八世紀では、漕刑場《そうけいじょう》や徒刑場や監獄などのほとんどすべての中に、謎《なぞ》のような悪魔的な快活さが見えていた。あたかも燐光《りんこう》に照らされ、横笛を吹いてる鬼火から森の中に投げ出されたかのような、踊りはねる鋭い次の反唱句も聞かれたのである。
[#ここから4字下げ]
Mirlababi, surlababo,
Mirliton ribon ribette,
Surlababi, mirlababo,
Mirliton ribon ribo.
[#ここで字下げ終わり]
これは窖《あなぐら》の中や又は森の片すみで、人を絞《し》め殺しながら歌われたのである。
この変化は重大な一兆候である。十八世紀に及んで、この沈うつな階級の古来の憂鬱《ゆううつ》は消散する。彼らは笑い始める。彼らは偉大なる meg(神)や大なる dab(王)を嘲笑する。ルイ十五世のことをいう時、彼らはこのフランス国王を marquis de Pantin([#ここから割り注]パリー侯爵[#ここで割り注終わり])と呼ぶ。彼らはほとんど快活になったのである。あたかも良心の重みももはや感じないかのように、そのみじめなる者らから一種軽快な光が発してくる。その痛むべき影の種族は、もはや単に行為上の絶望的な大胆さを持ってるのみではなく、また精神上のむとんちゃくな大胆さを持っている。それは彼らが罪悪
前へ
次へ
全361ページ中188ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング