「よく手入れがしてない、」その庭の中に、ロココ式の古ぼけた鉄門の後ろに、かなりの美人がいて、この美しい中尉が通る時にはたいていそこに出ていることに気づいた。この中尉というのは読者の知らない男ではなく、テオデュール・ジルノルマンにほかならなかった。
「おい、」と友人らは彼に言った、「君に目をつけてる娘がいるぞ、少し見てやれ。」
「俺《おれ》を見てる娘っ子に一々気をとめるだけの隙《ひま》があるもんか。」と槍騎兵《そうきへい》は答えた。
それはちょうどマリユスが、苦悶《くもん》の方へ深く沈んでゆきながら、「死ぬ前にただ彼女に再び会うことができさえするならば!」と自ら言ってる時だった。もし彼の希望が達せられ、その時槍騎兵をながめてる彼女を見たならば、彼は一言をも発することができず、悲しみのあまり息絶えたかも知れなかった。
それはだれの罪であったか? 否だれの罪でもない。
マリユスは懊悩《おうのう》のうちに沈み込んでそこに長く留まってるという気質の男だった。コゼットは懊悩のうちに身を投じてもまたそこから出て来るという気質の女だった。
その上コゼットは、危険な時期を通っていた。それは自分の意のままに打ち任せられた女の夢想が必然に一度は通る世界であって、その時の孤独な若い娘の心は、葡萄《ぶどう》の新芽にも似寄ったもので、偶然な事情のままに、大理石の円柱の頭にもからめば居酒屋の木の柱にもからみつく。それは急速な大事な時期であって、ことに孤児にあってはその貧富を問わず危険な時期である。なぜならば、金はあっても悪いものを選ばないとは限らない。不似合いな結婚は高位の人の間にもなされる。しかし真の不似合いな結婚は魂と魂との間になされるものである。一方には、名もなく家柄もなく財産もなく世に埋もれている青年のうちにも、偉大なる感情や観念の殿堂をささえる大理石の柱頭たる者があり、他方には、自ら得意となり繁栄をきわめて、靴《くつ》を光らし言葉を飾ってる上流の人のうちにも、その外部でなく内部をのぞく時には、言い換えれば女のために保有してるところのものをのぞく時には、激しい不潔な盲目な情欲のみいだいてる愚かな小人にすぎなくて、居酒屋の木の柱にすぎない者もある。
コゼットの魂のうちには何があったか? やわらげられ、あるいは眠らされている情熱、浮動の状態にある愛情、ある深さでは曇り更に下は薄暗い
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