日も、ただの一時間も、苦しい思いをしないではいられなくなる。何一つ持ち上げるにも苦痛を感ずるだろう。一刻の休みもなく絶えず筋肉はみりみりいうだろう。他の者には鳥の羽ぐらいなものも、お前には岩のように思えるだろう。ごくわけもないことも、大事業のようになるだろう。世の中は至る所恐ろしくなってくる。行ったりきたり息をしたりするのさえ、大変な仕事のようになってくる。肺をふくらますのさえ、百斤の重さを上げるような気がしてくる。ここを歩いたものかそれとも向こうを歩いたものか、そういうことまで一大事の問題となってくる。だれでも外に出ようと思えば、扉《とびら》を押し開くだけでもう外に出ている。ところがお前は、外に出ようとするには壁をつき破らなければならなくなる。往来に出るにも、普通の人はどうするかね。ただ階段をおりてゆくだけだ。ところがお前の方では、敷き布を裂き、それを一片ずつつなぎ合わして綱をこしらえ、それから窓をはい出し、その一筋の綱にすがって深い淵《ふち》の上にぶら下がるのだ。しかも夜か、暴風か、雨か、台風かの時だ。そして綱が短い時には、おりる道はただ飛びおりるほかはない。向こう見ずに無鉄砲に飛びおりるほかはない。それもかなりの高さからで、下には何があるかまったくわからない。またそうでなければ、身体を焦がすのもかまわずに、暖炉の煙筒の中をよじ上るか、あるいはおぼれるのもかまわずに、排尿口からはい出すのだ。そのほか、出入り口の穴を隠したり、日に二十遍も石を出したり入れたり、藁蒲団《わらぶとん》の中に漆喰《しっくい》の欠けをしまい込んだりするのは、言わずものことだ。錠前がある場合には、普通の市民なら錠前屋が作ってくれた鍵《かぎ》をポケットに持っている。ところがお前は、そこから出ようとする時には、精巧な恐ろしい道具を一つこしらえなければならない。大きな一スー銅貨を一つ取って、それを二枚に割る。何で割るのか、それも工夫しなければならない。それはお前の方の考えにあることだ。それから両方の表面には傷をつけないように注意して中をくりぬき、その縁には溝《みぞ》をつけ、二枚きっかり合わさって箱と蓋《ふた》とになるようにする。上と下とをよくはめ込めば、人にさとられることはない。お前を注意してる監視人には、それはただ一つの銅貨にすぎないが、お前には一つの箱となる。その箱の中に何を入れるかと言えば、
前へ
次へ
全361ページ中108ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング