ットを喜ばした。彼女はそこで、叢《くさむら》をかき回し石を起こし「獣」をさがし、夢想しながら遊び回った。足下に草の間に見いださるる昆虫《こんちゅう》を見てはその庭を愛し、頭の上に木の枝の間に見らるる星をながめてその庭を愛した。
 それからまた彼女は、自分の父すなわちジャン・ヴァルジャンを心から愛し、清い孝心をもって愛し、ついにその老人を最も好きな喜ばしい友としていた。読者の記憶するとおりマドレーヌ氏は多く書物を読んでいたが、ジャン・ヴァルジャンとなってもその習慣をつづけていた。それで彼は話がよくできるようになった。彼は自ら進んで啓発した謙譲な真実な知力の人知れぬ富と雄弁とを持っていた。彼にはちょうどその温良さを調味するだけの森厳さが残っていた。彼はきびしい精神であり穏和な心であった。リュクサンブールの園で対話中、彼は自ら読んだものや苦しんだもののうちから知識をくんできて、あらゆることに長い説明を与えてやった。そして彼の話を聞きながら、コゼットの目はぼんやりとあたりをさ迷っていた。
 自然のままの庭でコゼットの目には十分であったように、その単純な老人で彼女の頭には十分だった。蝶《ちょう》のあとを追い回して満足した時、彼女は息を切らしながら彼のそばにやってきて言った。「ああほんとによく駆けたこと!」すると彼は彼女の額に脣《くちびる》をつけてやった。
 コゼットはその老人を敬愛していた。そしていつもその跡を追った。ジャン・ヴァルジャンがいさえすればどこでも楽しかった。ジャン・ヴァルジャンは母屋《おもや》にも表庭にもいなかったので、彼女には、花の咲き乱れた園よりも石の舗《し》いてある後ろの中庭の方が好ましく、綴紐《とじひも》のついた肱掛《ひじか》け椅子《いす》が並び帷《とばり》がかかってる大きな客間よりも藁椅子《わらいす》をそなえた小さな小屋の方が好ましかった。ジャン・ヴァルジャンは時とすると、うるさくつきまとわれる幸福にほほえみながら彼女に言うこともあった。「まあ自分の家《うち》の方へおいで。そして私を少しひとりでいさしておくれ。」
 娘から父親に向けて言う時にはいかにも優雅に見えるかわいいやさしい小言《こごと》を、彼女はよく彼に言った。
「お父様、私あなたのお部屋《へや》では大変寒うございますわ。なぜここに絨毯《じゅうたん》を敷いたりストーブを据えたりなさらないの。」

前へ 次へ
全361ページ中74ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング