sむかで》、練兵場の溝《どぶ》の中にはおたまじゃくしがいる。
 彼らの言葉はタレーラン([#ここから割り注]訳者注 機才に富んだ弁舌で有名な当時の政治家[#ここで割り注終わり])に匹敵する。同様に冷笑的であり、またいっそう正直である。まったく思いもかけないような快弁を持っていて、その大笑いで店屋の者を狼狽《ろうばい》させることもある。その調子は大喜劇から狂言に至るまでの間を快活にはね回る。
 葬式の行列が通る。そのうちに医者がいるとする。するとひとりの浮浪少年は叫ぶ、「おや、医者の野郎、自分の仕事の取り入れをするなんて、いつから初めやがったんだ。」
 群集の中に浮浪少年のひとりがいる。そして眼鏡《めがね》や鎖をつけたひとりの堂々たる男が怒ってふり返りながら言うとする、「やくざ者め、俺の妻の腰に手をかけたな。」
「僕が! では僕の懐《ふところ》に手をつっ込んでみたらいいだろう。」

     三 その愉快さ

 晩になると、いつもいくらかの金をどうにか手に入れて、この小人[#「小人」に傍点]は芝居《しばい》に行く。ところがその蠱惑的《こわくてき》な閾《しきい》を一度またぐと、彼らの様子は変わってしまう。浮浪少年だったのが、小僧っ児になってしまう。芝居小屋は船を裏返したようなもので、上の方に船底がある。小僧っ児がつめ込むのはその船底へである。小僧っ子と浮浪少年との関係は、ちょうど蛾《が》と青虫との関係である。羽がはえて空中を飛び回る代物《しろもの》である。芝居小屋のその狭い、臭い、薄暗い、不潔な、不健康な、たまらない、のろうべき船底が、天国ともなるためには、彼らがそこにいさえすれば十分である、光り輝くその幸福と、その力強い心酔と喜悦と、羽音のようなその拍手とをもって。
 あるひとりの者に無用さを与え、その必要さを取り去ってしまえば、そこに一つの浮浪少年ができ上がる。
 浮浪少年は、一種の文学的直覚を持っていないこともない。その傾向は、多少遺憾ながら、決してクラシック趣味ではなさそうである。彼らは生まれながらにしてあまりアカデミックではない。その一例をあぐれば、この喧騒《けんそう》な少年らの小社会におけるマルス嬢の評判は、一味の皮肉さで加味されていた。浮浪少年は彼女のことをまるまる[#「まるまる」に傍点]嬢と言っていた。
 彼らは怒鳴り、揶揄《やゆ》し、嘲弄《ちょうろう》
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