べての感じと考えとは、そのお爺《じい》さんを愛し初めたのだった。彼女はかつて知らなかった気持を覚えた、花が開くような一種の心地を。
 お爺さんはもう彼女には年老いてるとも貧しいとも思えなかった。彼女の目にはジャン・ヴァルジャンは美しかった、ちょうどその物置きのような室《へや》がきれいと思われたように。
 それは曙《あけぼの》と幼年と青春と喜悦との作用である。そして新たな土地と生活も多少それを助ける。陋屋《ろうおく》の上に映ずる美しき幸福の影ほど快いものはない。人はみな楽しい幻の室を生涯《しょうがい》に一度は持つものである。
 自然は五十年の歳月のへだたりをもって、ジャン・ヴァルジャンとコゼットとの間に深い溝渠《みぞ》を置いていた。しかし運命はその溝渠を埋めてしまった。年齢において異なり不幸において相似たる二つの根こぎにされた生涯は、運命のためににわかに一つ所に持ちきたされ、不可抗の力をもって結合させられた。そして両者は互いに補い合った。コゼットの本能は父をさがし求め、ジャン・ヴァルジャンの本能は一つの子供をさがし求めていた。互いに出会うことは、互いに見いだすことであった。彼らの二つの手が相触れた神秘な瞬間に、はやその二つは蝋着《ろうちゃく》してしまった。それら二つの魂が相見《まみ》えた時、両者は互いに求め合っていたものであることを感じて、互いに堅く抱き合ってしまった。
 最も深い絶対的な意味において、言わば墳墓の壁によってすべてのものからへだてられて、ジャン・ヴァルジャンは鰥夫《やもめ》であり、コゼットは孤児であった。そしてそういう境涯《きょうがい》のために、天国的にジャン・ヴァルジャンはコゼットの父となった。
 実際シェルの森の中で、やみの中にジャン・ヴァルジャンの手がコゼットの手を執ったとき、コゼットの受けた神秘な印象は、一つの幻影ではなくて現実であった。その子供の運命のうちにその男がはいってきたことは、神の出現であった。
 それにまた、ジャン・ヴァルジャンは隠れ家《が》をよく選んでいた。彼はほとんど欠くるところなき安全さでそこにいることができた。
 彼がコゼットとともに住んだ別室付きの室《へや》は、大通りに面した窓のついてる室だった。その窓はこの家のただ一つのものだったから、前からも横からも隣人に見らるる恐れは少しもなかった。
 この五十・五十二番地の建物の一階は、荒廃した小屋同様で、八百屋《やおや》などの物置きになっていて、二階とは何らの交渉もなかった。二階と一階とをへだてる床《ゆか》には、引き戸も階段もなく、その破屋の横隔膜のような観があった。二階には前に言ったとおり、多くの室と数個の屋根部屋とがあったが、ただその一つに一人の婆さんが住んでるのみだった。その婆さんがジャン・ヴァルジャンにいっさいの用をしてくれた。そのほかにはだれも住んでいなかった。
 婆さんは借家主[#「借家主」に傍点]という名義であったが、実は門番の役目をしてるにすぎなかった。クリスマスの日に、ジャン・ヴァルジャンに住居《すまい》を貸してくれたのはその婆さんだった。まだ年金は持ってるが、スペインの公債に手を出して失敗したので、孫娘とともに住みに来るのだと、ジャン・ヴァルジャンは婆さんに言っておいた。彼は六カ月分の前払いをして、前に述べた通りの道具を両室に備えるように婆さんに頼んでおいた。その晩暖炉に火をたき、二人が来る準備をすっかりしてくれたのは、その婆さんだった。
 数週間過ぎ去っていった。二人は惨《みじ》めな室《へや》の中に楽しい生活をしていた。
 夜明けごろからもう、コゼットは笑い戯れ歌っていた。子供というものは小鳥と同じく朝の歌を持っている。
 時とするとジャン・ヴァルジャンはコゼットの皸《ひび》のきれたまっかな小さい手を取って、それに脣《くちびる》をつけることもあった。あわれな子供は、いつも打たれることばかりになれていたので、その意味がわからずに、恥ずかしがって手を引っ込めた。
 また時には、コゼットはまじめになって、自分の小さな黒服をながめることもあった。彼女はもうぼろではなく、喪服を着ていた。彼女は悲惨から出て普通の生活にはいっていた。
 ジャン・ヴァルジャンは彼女に読み方を教え初めた。彼はそうして子供につづりを言わせながら、自分が徒刑場で読み方を学んだのは悪事をなさんがための考えからであったことを時々思い出した。その考えは今では子供に読み方を教えることに変わっていた。そしてその老囚徒は天使のような思い沈んだ微笑をもらした。
 そこに彼は、天の配慮を感じ、人間以上の何かの意志を感じ、我を忘れて瞑想《めいそう》にふけるのであった。善き考えも悪き考えと同じく、その深い淵《ふち》を持っているものである。
 コゼットに読み方を教えること、また彼女を遊ばせること、そこにほとんどジャン・ヴァルジャンの全生活があった。それからまた彼は、母親のことを語ってきかせ、神に祈りをさした。
 コゼットは彼をお父さん[#「お父さん」に傍点]と呼んでいた。それより他の名を知らなかった。
 コゼットが人形に着物をきせたりぬがしたりするのをながめ、また彼女が歌いさざめくのに耳を傾けて、彼は幾時間もじっとしていた。その時からして、人生は興味に満ちたもののように思われ、人間は善良で正しいもののように感ぜられて、もはや心のうちで何人《なにびと》をもとがめず、また子供に愛せられてる今となっては、ごく老年になるまで生き長らえるに及ばないという理由は何ら認められなかった。あたかも麗しい光明によって輝かされるがようにコゼットによって輝かされる未来を、彼は自分に見いだしていた。およそいかなる善人といえども、全く私心を有しない者はない。彼も時としては、コゼットが美しくはなるまいと考えて一種の満足を感じていた。
 これは一個の私見にすぎないが、しかしわれわれは考うるところをすべてここに言ってしまいたい。すなわちコゼットを愛し初めた頃のジャン・ヴァルジャンの状態を見てみるに、なお正しい道を続けて進むのにその支持者が必要でなかったかどうかは、疑わしいところである。彼は人間の悪意と社会の悲惨とを新たなる方面より目に見たのであった。もちろんそれは不完全でただ事実の一面観にすぎないものではあったが。そしてファンティーヌのうちに概略された女の運命と、ジャヴェルのうちに具現された公権とを、目に見たのであった。彼は徒刑場に戻った、それもこのたびは善をなしたがために。彼は新たなる苦しみを飲んだ。嫌悪《けんお》と疲労とにまたとらえられた。司教の記憶さえも、後にまた勝利を得て輝きだしはするが、とにかく一時は曇りかけることもあった。実際その聖《きよ》き記憶もついには弱くなってきた。恐らくジャン・ヴァルジャンは、落胆して再び堕落せんとする瀬戸ぎわにあったのかも知れない。しかるに彼は愛を知って、再び強くなった。ああ彼もまたほとんどコゼットと同じくよろめいていたのである。が彼はコゼットを保護するとともに、コゼットは彼を強固にした。彼によって、彼女は人生のうちに進むことができた。そして彼女によって、彼は徳の道を続けることができた。彼は少女の柱であった、そして少女は彼の杖《つえ》であった。実に運命の均衡の測るべからざる犯すべからざる神秘さよ!

     四 借家主の見て取りしもの

 ジャン・ヴァルジャンは用心して昼間は決して外へ出なかった。そして毎日夕方に一、二時間散歩した。時には一人で、多くはコゼットとともに、その大通りの最も寂しい横町を選び、また夜になると教会堂にはいったりして。彼は一番近いサン・メダール会堂によく行った。コゼットは連れて行かれない時は婆さんといっしょに留守をした。けれども老人といっしょに出かけるのを彼女は喜んでいた。人形のカトリーヌと楽しく差し向かいでいるよりも、老人といっしょに一時間の散歩をする方を好んでいた。老人は彼女の手を引いて、歩きながらいろいろおもしろいことを話してくれた。
 コゼットはごく快活な子になった。
 婆さんは部屋を整えたり料理をしたり、食物を買いに行ったりした。
 彼らはいつも少しの火は絶やさなかったが、ごく困まってる人のように、質素に暮らしていた。ジャン・ヴァルジャンは室《へや》の道具をも初めのままにしておいた。ただコゼットの私室へ行くガラスのはまった扉《とびら》を、すっかり板の扉に変えたばかりだった。
 彼はやはりいつも、黄色いフロックと黒いズボンと古い帽子とを身につけていた。往来では貧乏人としか見えなかった。親切な女たちがふり向いて一スー銅貨をくれることもあった。ジャン・ヴァルジャンはその銅貨を受け取って、低く身をかがめた。また時には、慈悲を求めてる不幸な者に出会うこともあった。そういう時、彼はふり返ってだれか見てる者はないかをながめ、そっとそれに近寄り、その手に貨幣を、たいてい銀貨を、握らしてやって、足早に立ち去った。それは彼に不利なことだった。その一郭では、施しをする乞食[#「施しをする乞食」に傍点]という名前で彼は知られるようになった。
 借家主[#「借家主」に傍点]の婆さんは、至って無愛想で、近所の者のことを鵜《う》の目|鷹《たか》の目で探り回るような女だったが、ひそかにジャン・ヴァルジャンの様子をも探っていた。少し耳が遠くて、またそのために饒舌《おしゃべり》だった。歯は抜け落ちてしまって、ただ上と下とに一本ずつ残っていたが、それを始終かみ合わしていた。彼女はいろんなことをコゼットに尋ねた。しかしコゼットは、モンフェルメイュからきたのだということのほかは、何にも知らず、何にも語るものがなかった。婆さんは気をつけてると、ある朝ジャン・ヴァルジャンがどうも変な様子をして家の中の人の住んでいない部屋の一つにはいっていくのを見つけた。彼女は古猫のような足つきであとをつけて行って、身を隠しながら、向かい合わせの扉のすき間から彼をうかがうことができた。ジャン・ヴァルジャンはもちろん用心に用心をしたゆえか、その扉に背を向けていた。見ていると、彼はポケットの中を探って小箱と鋏《はさみ》と糸とを取り出し、それからフロックの裾の裏をほどきはじめ、その口から黄色っぽい一片の紙を引き出して、それをひろげた。婆さんはそれが千フランの紙幣であるのを認めてぞっとした。千フランの紙幣を見たのはそれが生まれて二度目か三度目だった。彼女は恐れて逃げて行った。
 しばらくたって、ジャン・ヴァルジャンは婆さんの所へ行き、千フランの紙幣を細かいのに換えに行ってくれと頼んだ。そしてこれは昨日受け取った半期分の年金だとつけ加えた。婆さんは考えた。「どこで受け取ったんだろう。あの人は晩の六時にしか出かけなかった、そして国庫はそんな頃開いてるはずはない。」婆さんは紙幣を両替えに行きながら、種々想像をめぐらした。そうしてその千フランの紙幣は、いろいろな尾鰭《おひれ》をつけられて、ヴィーニュ・サン・マルセル街のお上さんたちの間に、びっくりした盛んな噂《うわさ》をまきちらした。
 その後ある日のこと、ジャン・ヴァルジャンはチョッキ一枚になって、廊下で薪《まき》を鋸《のこぎり》ひきしていた。婆さんは室《へや》の中で片付けものをしていた。彼女はただ一人だった。コゼットは薪が鋸にひかるるのを見とれていた。婆さんは釘《くぎ》に掛かってるフロックを見て、しらべてみた。裏は元どおり縫いつけられていた。婆さんは注意深くそれに触《さわ》ってみた。そして裾と袖《そで》付けとの中に、紙の厚みが感ぜられるように思った。きっと千フラン紙幣がたくさんはいっていたのであろう。
 婆さんはそのほか、ポケットの中に種々なものがはいってるのを認めた。前に見た針や鋏《はさみ》や糸ばかりでなく、大きな紙入れ、非常に大きいナイフ、それから怪しむべきことには、種々な色の多くの鬘《かつら》、フロックのどのポケットもみな、何か意外のでき事に対する用意の品がいっぱいはいってるようだった。
 破屋の人たちは、かくて冬の終わり頃に達した。

  
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