軍をトングル方面にしりぞけ、ウェリントンとブリューヘルとを二個の破片となし、モン・サン・ジャンを奪い、ブラッセルを占領し、かくてドイツ軍をライン河に圧迫し、イギリス軍を海中に投ぜんとしたのである。ナポレオンにとっては、すべてそれらのことがこの一戦のうちにあった。その後のことは明白であろう。
いうまでもなくわれわれはここにワーテルローの歴史を書かんとするのではない。われわれの語らんとする物語の基礎たるべき場面の一つがこの戦争と関係を有するのではあるが、しかしその歴史がわれわれの題目ではない。その上既にその歴史はでき上がっている、ナポレオンによって一方の見地からと、一群の歴史の大家(ワルター・スコット、ラマルティーヌ、ヴォーラベル、シャラス、キネー、ティエール)によって他の見地からと、堂々と完成されている。われわれはただそれらの歴史家をして争論するままにさしておこう。われわれはただ遠方よりの見物人であり、その平原の一旅人であり、人間の肉をもってこね返されたるその土地の上に身をかがむる探究者であり、しかも皮相をもって事実と誤る探究者に過ぎないかも知れない。われわれは学問の名においても、多くの幻影を必ずや有するその全般の事実に立ち向かうだけの権利を有しない。一つの学説をうち立てるだけの実戦の才も戦術上の能力も有しない。われわれの見るところによれば、ただ一連の偶然事がワーテルローにおいて両将帥を支配したまでである。しかしてその神秘なる被告である運命に関しては、われわれはあの素朴なる判官である民衆と同様な判断をなすのみである。
四 A
ワーテルローの戦いの明らかな観念を得んと欲するならば、地上に横たえたAの大文字を想像すればそれで足りる。Aの左の足はニヴェルの道であり、右の足はジュナップの道であり、両方をつなぐ横棒はオーアンからブレーヌ・ラルーへの凹路《おうろ》である。Aの頂はモン・サン・ジャンであって、そこにウェリントンがいる。左下の端はウーゴモンで、そこにゼローム・ボナパルトとともにレイユがいる。右下の端はラ・ベル・アリアンスで、そこにナポレオンがいる。Aの横棒が右の足と交差している点の少し下がラ・エー・サントである。横棒の中央が、ちょうど勝敗の決した要点である。あの獅子《しし》の像が立てられたのはそこであって、それは期せずして近衛軍の最もりっぱなる勇武の
前へ
次へ
全286ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング