白さでなお見分けることができていた。法廷は一人の男を白州に引き立てた。その男はアルトア伯爵がノートル・ダーム寺院にはいってゆくのを見て、声高く言ったのである。「ああボナパルトとタルマとが互いに腕を組んで練兵場にはいってゆくのを見られた時代がなつかしい[#「ああボナパルトとタルマとが互いに腕を組んで練兵場にはいってゆくのを見られた時代がなつかしい」に傍点]。」それは挑発的な言葉であった。で六カ月牢にはいった。反逆人らはボタンをはずして何も隠さなかった。戦いの前日敵に通じた者らは、受けた報酬を少しも隠さないで、卑しい財宝と位階とに包まれて白日の下をはばかり気もなくのさばり歩いていた。リニーやカトル・ブラの脱走兵らは、その卑劣の報酬を受けて、王に対する彼らの忠誠を臆面《おくめん》もなくすっかり見せかけていた。彼らは皆、イギリスの共同便所の内側の壁に書かれてることを忘れているのであった、「出る前に服装を整えられたし[#「出る前に服装を整えられたし」に傍点]。」
 以上雑多なことは、今日はもう忘れられているが、一八一七年から雑然と浮き出してくるところのものである。歴史はこれらの特殊な事がらをほとんどことごとく閑却している。そしてそれも余儀ないことである。歴史は無限になるだろうから。けれどもこれらの詳細は、それを些事《さじ》と言い去るのは誤りであって――人生のうちに些事はなく、植物のうちに瑣末《さまつ》なる葉はない――それは皆有用なことである。時代の容貌が形造らるるのはその年々の相《すがた》によってである。
 さてこの一八一七年に、四人の若いパリーっ子が「おもしろい狂言」を仕組んだ。

     二 二重の四部合奏

 それらの四人のパリーっ子のうち、一人はツウルーズの者で、次はリモージュの者で、第三はカオールの者で、第四はモントーバンの者であった。けれども彼らはみな学生であった。学生というのはパリーっ子というのと同じで、パリーで学問をすることはパリーで生まれるのと同じである。
 それらの四人の青年らは、何らとりたてて言うべきほどの点をもたず、至ってありふれた人物だった。どこにでもある型だった。善《よ》くもなくまた悪くもなく、学問があるでもなくまた無知でもなく、天才でもなければまた愚か物でもなかったが、二十歳という楽しい青春の花盛りだった。それはある四人のオスカール([#ここから割り注]訳者注 北欧神話オシアン中の勇士[#ここで割り注終わり])であった。というのは、この時代にはまだアーサア([#ここから割り注]訳者注 イギリスの物語中の騎士[#ここで割り注終わり])式の人物はいなかったのだから。物語は言う、「彼のためにアラビアの香料を[#「彼のためにアラビアの香料を」に傍点]焚《た》け[#「け」に傍点]。オスカール来る[#「オスカール来る」に傍点]。オスカール[#「オスカール」に傍点]、余はまさに彼を見む[#「余はまさに彼を見む」に傍点]。」人々はちょうどオシアン物語から出てきたところで、典雅といえば皆スカンディナヴィアふうかカレドニアふうかであった。純粋のイギリスふうはずっと後にしかはやらなかった。そしてアーサア式の第一者たるウェリントンは、まだようやくワーテルローで勝利を得たばかりの時だった。
 で、その四人のオスカールのうち、ツウルーズのはフェリックス・トロミエスといい、カオールのはリストリエ、リモージュのはファムイュ、終わりのモントーバンのはブラシュヴェルといった。もちろんおのおの自分の情婦《おんな》を持っていた。ブラシュヴェルは、イギリスに行っていたことがあるのでファヴォリットと英語ふうに呼ばれている女を愛していた。リストリエは、花の名を綽名《あだな》としているダーリアという女を鍾愛《しょうあい》していた。ファムイュは、ジョゼフィーヌをつづめてゼフィーヌと呼ぶ女をこの上ない者と思い込んでいた。トロミエスは、美しい金髪のためにブロンドと呼ばるるファンティーヌという女を持っていた。
 ファヴォリット、ダーリア、ゼフィーヌ、ファンティーヌ、その四人は、香水のにおいを散らしたきらびやかな娘盛りだった。針の臭みからぬけきらないで多少女工ふうの所もあり、また情事に濁らされてもいたが、しかしその顔にはなお労働の朗らかな影が残っており、その心の中には、最初の堕落にもなお女のうちに残る誠実の花を留めていた。四人のうちの一人は一番年下なので若い娘《こ》と呼ばれてい、そのうちの一人は年増《としま》と呼ばれていた。その年増は二十三になっていた。うち明けて言えば初めの三人は、最初の楽しみにあるブロンドのファンティーヌよりは、経験も多くつみ、いっそう放縦で世なれていた。
 ダーリアとゼフィーヌ、わけてもファヴォリットは、ファンティーヌと同日には論じられなかった。彼女らの物語はようやく始まったばかりなのにもう既にいくつもの插話《エピソード》があった、そして相手の男の名も、その第一章にアドルフというかと思えば、第二章にはアルフォンズとなり、第三章にはギュスターヴとなっていた。貧苦と嬌艶《きょうえん》とはいけない相談役である。一は不平を言い、他は媚《こ》びる。そして下層の美しい娘らはそれを二つながら持っていて、両方から耳に低くささやかれる。護りの弱い彼女らの魂はそれに耳を傾ける。そこから彼女らは堕落して、人に石を投げらるるに至る。そして彼女らは、もはやおのれのいたり及ばぬ清らかなるものの輝きで圧倒せらるる。ああ、もしユングフラウ([#ここから割り注]訳者注 物語の聖き少女[#ここで割り注終わり])にして飢えていたとせんには!
 ファヴォリットはイギリスにいたことがあるというので、ゼフィーヌとダーリアとから尊敬されていた。彼女はごく早くから自分の家というのを一つ持っていた。父は乱暴で法螺《ほら》吹きの数学教師であって、結婚したことがなく、老年にもかかわらず家庭教師に出歩いていた。この数学の教師はまだ若い時に、暖炉の灰|除《よ》けにかかっていた女中の着物をある日見て、そのためにその女を思うようになった。ファヴォリットはその間に生まれたのである。彼女は時々自分の父に出会ったが、父は彼女に丁寧な態度をとった。ある朝、信仰深そうな年寄った女が彼女の家にはいってきて、彼女に言った。「あんたは私がわかりませんか。」「わかりません。」「私はあんたの母親だよ。」それからその老婦人は、戸棚をあけて飲み食いし、自分のふとんを持ち込み、そこに腰を据えてしまった。その口やかましい信仰深い母親は、決してファヴォリットには口もきかず、一言も言わないで数時間じっとすわっていて、朝と昼と晩と三度の食事を驚くほどたくさん食い込み、そして門番のところへ話しにおりてゆき、そこで娘のことを悪口するのを常とした。
 ダーリアがリストリエの方へなびき、またおそらく他の種々な男の方へなびき、なまけてしまったのは、あまり美しすぎる薔薇《ばら》色の爪を持っていたからである。どうしてその美しい爪で働かれよう。貞節を守らんと欲する者はおのれの手をあわれんではならない。ゼフィーヌの方は、「そうよ、あんた、」と言う言葉つきに、ちょいと無遠慮な愛くるしいところがあったので、ファムイュの心を得たのだった。
 その若い男たちは仲間同士であり、その若い女たちも友だち同士であった。かかる恋愛はいつもかかる友誼《ゆうぎ》といっしょになるものである。
 賢いのと分別があるのとは別である。その証拠には、その貧しい乱れた生活をば斟酌《しんしゃく》してやるとすれば、ファヴォリットとゼフィーヌとダーリアとは分別のある女であった、そしてファンティーヌは賢い女であった。
 賢い? そしてトロミエスを思う? と人は反問するだろう。が、愛は知恵の一部なりとソロモンは答えるであろう。吾人はただこう言うに止めておこう、すなわち、ファンティーヌの愛は、最初の愛であり、唯一の愛であり、誠ある愛であったと。
 四人の女のうちで、唯一人の男からだけお前と呼ばれていたのは、彼女だけだった。
 ファンティーヌは、いわば民衆の奥底から花を開き出したともいえるような者の一人であった。社会の測るべからざる濃い闇《やみ》の底から出てきたので、彼女は額に無名および不明の印を押されていた。彼女はモントルイュ・スュール・メールで生まれた。どういう親からか? だれがそれを言い得よう。彼女の父も母も少しもわからなかった。彼女はファンティーヌという名だった。なぜファンティーヌというか? 他の名前がわからなかったからである。彼女の出生は、まだ執政内閣のある時分だった。彼女には姓もなかった、家族がなかったから。洗礼名もなかった。その地にはもう教会がなかったから。まだ小さい時に通りを跣足《はだし》で歩いていると、通りがかりの人がいい名だと言ってつけてくれた名をもらった。雨の降る時に雲から落ちてくる水のしたたりを額に受けるように、彼女はその名前をもらった。そして小さなファンティーヌと呼ばれた。だれも彼女のことをそれ以上に知ってる者はいなかった。この一個の人間はそのようにして人の世にやってきたのである。十歳の時に、ファンティーヌはその町を去って、近くの農家に雇われて行った。十五の時に、「金もうけに」パリーに出てきた。ファンティーヌはきれいであった、そしてできるだけ長く純潔を守っていた。美しい歯をしたかわいらしい金髪の娘だった。彼女は結婚財産として黄金《こがね》と真珠とを持っていたのである。しかし黄金というのは頭の上にあり、真珠というのは口の中にあるのだった。
 彼女は生活のために働いた。それから、やはり生活のために、というのは心もまた飢えるものだから、彼女は愛した。
 彼女はトロミエスを愛した。
 男の方には情欲があり、女の方には熱情があった。学生やうわ気女工らが蟻《あり》のように群らがってるカルティエ・ラタンの小路が、二人の夢の初まりの場所だった。ファンティーヌは、多くの情事が結ばれ解けるあのパンテオンの丘の迷路で、長い間トロミエスを避けながら、しかもいつもまた彼に出会うようにした。さがすのに似た隠れ方があるものである。要するに、牧歌の恋が起こったのである。
 ブラシュヴェルとリストリエとファムイュとは一種の党をなしていて、トロミエスはその首領であった。機才のきいてるのは彼だったのである。
 トロミエスは年とった古書生だった。金持ちで年に四千フランの収入があった。年に四千フランといえば、サント・ジュヌヴィエーヴの山([#ここから割り注]訳者注 パンテオンの丘[#ここで割り注終わり])では素敵な評判のものだった。トロミエスは三十歳の道楽者で、身体は衰えていた。しわがより、歯が抜けていた。頭がそろそろ禿《は》げかかっていたが、彼は平気で自ら言っていた、「三十歳にして禿げ[#「三十歳にして禿げ」に傍点]、四十歳にして腰が立たず[#「四十歳にして腰が立たず」に傍点]。」消化が悪く、一方の目には涙がにじんでいた。けれども、若さがなくなるに従ってますます元気になった。歯の無い所は洒落《しゃれ》で補い、禿げた所は快活さで、健康の悪いのは皮肉で補った、そして、涙のにじんでる目は絶えず笑っていた。身体はくずれていたが、なお花を咲かしていた。彼の青春は、年齢《とし》よりも早く逃げ出しながら、うまく退却の太鼓を鳴らし、笑いくずれていて、人の目には活気しかはいらなかった。ヴォードヴィル座に作品を送って拒絶されたこともあった。時々は何か歌をも作った。その上、彼は何事にも頭から疑惑をいだいていたが、弱い者らの目にはそれが強大な力に見えた。それで、皮肉であり頭は禿げていたが、皆の上に立っていた。iron というのは英語で鉄の意味である、そこから ironie(皮肉)の語はきたのであろうか。
 ある日トロミエスは他の三人の者をわきに呼んで、神託でも授けるような身振りで彼らに言った。
「もう一年前からファンティーヌとダーリアとゼフィーヌとファヴォリットは、何かびっくりするようなことをしてくれと言っている。われ
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