フランシュ・コンテにのがれて、そこでしばらく働いて生活していました。私は丈夫な意志を持っていたのです。仕事はたくさんあって、ただ勝手に何かを選ぶだけでした。製紙場、製革所、蒸溜《じょうりゅう》所、製油場、時計製作所、製鋼所[#「製鋼所」は底本では「製綱所」]、製銅所、その他少なくも二十余りの鉄工所があって、そのうち、ロオ、シャーティヨン、オーダンクール、ブールの四カ所にある四つは重立ったものです……。」
 私はたぶん聞き違いはないと存じます、そして兄があげた地名は右のとおりだったと思います。兄はそれから言葉を切って、私の方へ話を向けました。
「ねえ、あの土地に親類はなかったかね。」
 私は答えました。
「ええあります。そのうちでも、革命前にポンタルリエの門衛長であったリュスネーさんがあります。」
「そうそう。」と兄は言いました。「しかし、一七九三年には、もう親類なんか無いも同様だった。ただ自分の腕だけだった。私は働いたのです。ヴァルジャンさん、あなたがおいでになろうというポンタルリエには、まったく素朴な楽しい仕事が一つあります。それはフリエイティエールと言われているチーズ製造所です。」
 その時私の兄は、男に食事をさせながら、ポンタルリエのチーズ製造所がどんなものであるかくわしく説明してやりました。兄の言葉によればおおよそ次のようなのです。――それには二つの種類があります。大納屋[#「大納屋」に傍点]というのは金持ちに属するもので、四、五十頭の牝牛《めうし》があり、一夏ごとに六、七千斤のチーズができます。また組合製造所[#「組合製造所」に傍点]という方は貧しい人たちに属するもので、彼らは山地の百姓でして、共同に牝牛《めうし》を飼って、その産物を分配するのです。彼らはグリュラン[#「グリュラン」に傍点]と呼ばるるチーズ製造人を雇います。グリュランは日に三度組合の牛乳を受け取り、その量を合札《あいふだ》に誌《しる》します。チーズ製造の仕事が初まるのは四月の末ごろでありまして、チーズ製造人らがその牝牛を山中に追いやってしまうのは六月中ごろだそうです。
 男は食事をしているうちに元気づいて参りました。兄は彼にモーヴのいいぶどう酒を飲ませました。それは高価なものだといって兄自身飲まなかったものなのです。兄は御存じのとおりの気安そうな快活な調子で、そして時々私の方へもやさしく言葉を向けながら、男に右の細かい話をしてきかせました。兄は何度もそのグリュランのおもしろい有様をくり返しまして、それがその男のための逃《のが》れ場所であることを、直接にぶしつけに説かないで自然にわからせようと願っているかのようでありました。
 それから一つ私の心を動かしたことがございます。その男は前に申したとおりの者なのです。ところが私の兄は、彼がはいってきた時キリストについて二、三のことを申しましたほかには、食事の間もまたその晩中も、その男に身分を思い起こさせまた自分がだれであるかを知らせるようなことは、一言も言わなかったのであります。ちょっと考えれば、多少の説教などをいたし、囚人の上に司教の威を示して、その通りがかりの印象を深くしてやるのにいい機会であったように思われます。またその不幸な男を家に入れてやったことでありますから、その身体を養ってやるとともに心をも養ってやり、いくらかその罪を責めるとともに訓戒や忠告を与えたり、または彼の将来の善行を勧めながら少しの慈悲を施してやりますのに、ちょうどいい場合のようにも思われるのでありました。しかるに兄は、彼がどこの生まれであるかを聞きもしなければ、その経歴を尋ねもいたしませんでした。それも彼の経歴のうちには罪悪があったのでありまして、兄は彼にそれを思い起こさせるような話をいっさいさけてるようでありました。一度兄はポンタルリエの山国の人たちのことを話しまして、彼らは天に近く穏かな仕事をしていると[#「彼らは天に近く穏かな仕事をしていると」に傍点]いうことにつけ加えて、彼らは心が[#「彼らは心が」に傍点]潔《きよ》らかであるから幸福である[#「らかであるから幸福である」に傍点]と申しました時、ふともらしたその言葉のうちに、男の心を痛ましめるようなものがありはしないかを恐れて、突然口をつぐんでしまったほどでした。いろいろ考えてみますと、兄の心のうちにどういう考えがあったかは私にも理解できるように思われます。そのジャン・ヴァルジャンという男は自分の惨《みじ》めさをはっきり心に感じているので、そういうことを忘れさせ、普通の待遇をしてやって、たとい一時でも他の人と同じような人間であると信ぜさせるが最上の策だと、兄はきっと思っていたに違いありません。実際それこそ慈悲ということをよく了解した仕方ではありませんでしょうか。説教や訓戒や諷諭《ふうゆ》などをいたさないその思いやりの深い態度のうちにこそ、本当に伝道的な何物かがあるのではありませんでしょうか。そして人が心の痛みを持つ時には、少しもそれに触れないようにするのが最もいいあわれみではないでしょうか。兄の内心の考えもそこにあったに違いないように私には思われました。けれども、いずれにせよ、私のここに断言し得ますことは、たとい兄がそういう考えを持っていましたとしても、兄は私に対してさえそういう素振りを少しも見せなかったことであります。兄はどこまでもいつもの晩と同じようでありました。そして、牧師会長のジェデオン氏やまたは教区のある司祭と会食する時と全く同じような様子と仕方とで、ジャン・ヴァルジャンと食事をともにいたしました。
 食事の終わりに無花果《いちじく》を食べていました時に、だれか戸をたたきました。それはジェルボー婆さんが子供を抱いてきたのでありました。兄は子供の額《ひたい》に接吻《せっぷん》しまして、それからジェルボー婆さんにやるために私が持ち合わしていた十五スーを借りました。その間、あの男は別に注意もいたしていませんでした。もう一言も口をきかないで、大変疲れているように見受けられました。あわれなジェルボー婆さんは立ち去りました。兄は食後の祈祷をしまして、それから男の方へ向いて、きっともうお寝《やす》みになりたいんでしょう、と言いました。マグロアールは急いで食器を片付けました。旅人を静かに眠らせるために室に退くべきだと私は存じまして、マグロアールと二人で二階の室へ上がりました。けれどもすぐそのあとで、私はマグロアールに、私の室にありましたフォレー・ノアールの鹿《しか》の皮を男の寝床に持たしてやりました。夜は凍るように寒くありますが、それで暖まれましょう。ただ残念なことには、その皮はもう古くて毛がすっかりなくなっています。それは、兄がダニューブ河の水源近くのドイツのトットリンゲンに居ました頃、私が食卓で使っています象牙《ぞうげ》柄の小さなナイフといっしょに、買ってきてくれたものであります。
 マグロアールは、すぐにまた二階へ戻ってきました。私どもは、洗たく物をひろげる室で神を祈り初めました。それから二人とも一言も交じえないでおのおの自分の室に退きました。

     五 静穏

 ビヤンヴニュ司教は妹に晩の別れを言った後、テーブルの上の二つの銀の燭台の一つを自分の手に取り、一つを客に渡し、そして言った。
「さあ、あなたの室に御案内しましょう。」
 男は彼の後ろに従った。
 上に述べた所によってわかるとおり、その家の構造は、寝所のある礼拝所にゆき、またはそこから出て来るには、司教の寝台を通らなければならないようになっていた。
 彼らがその寝室を通る時にちょうど、マグロアールは寝床の枕頭《まくらもと》にある戸棚に銀の食器をしまっていた。それは毎晩彼女が寝に行く前にする最後の仕事であった。
 司教は客を礼拝所の寝所に導いた。白く新しい寝床ができていた。男は小卓の上に燭台を置いた。
「それでは、」と司教は言った、「よくお寝《やす》みなさい。あしたの朝はお出かけの前に、家の牝牛《めうし》から取れる乳を一杯あたたかくして差し上げましょう。」
「ありがとうございます。」と男は言った。
 その和《やわら》ぎに満ちた言葉を発したかと思うと、彼は突然そしてだしぬけに、一種異様な身振いをした。もし二人の聖《きよ》き婦人がそれを見たなら、おそらく慄然《りつぜん》として縮み上がったであろう。その時男がどういう感情に駆られたのかは、今もってわれわれにもよくはわからない。何かあることを知らせんためであったか、または脅かさんがためであったか? 彼自身にもわからない一種の本能的な衝動に従ったのみであったろうか? とにかく彼は、突然老司教の方へふり向き、両腕を組み、あらあらしい目つきで見つめながら、嗄《しゃが》れた声で叫んだ。
「ああなるほど! こんなふうにあなたのすぐそばに私を泊めるのですな!」
 彼はふと口をつぐんで、何かある恐るべきものを含んだ笑い方をしながら付け加えた。
「よく考えてみましたか? 私が人殺しではないというようなことをだれかが言いでもしましたか?」
 司教は天井の方へ目をあげて、答えた。
「それは神の知らるるところです。」
 それから、祈りをしあるいは独語をしている人のように脣《くちびる》を動かしながら荘重に、司教は右手の二本の指をあげて男の上に祝福を祈った。が彼は首もたれなかった。そして頭をめぐらしもせず、うしろを顧みもせずして、寝所にはいった。
 寝所に人が泊まる時には、礼拝所の中に大きなセルの幕が一方から他方へ張りめぐらされて祭壇を隠すことになっていた。司教はその幕の前を通る時に跪《ひざまず》いて、短い祈祷をした。
 そのあとですぐ彼は庭に出た。歩きながら、夢想にふけり、観想に沈み、なお開かれている人の目に夜間神が示す、あの偉大な神秘なある物に心も頭もすっかり投じてしまった。
 男の方は、まったく疲れ切っていたので、りっぱな白い敷き物さえ何が何やらわからなかった。囚人らがやるように鼻息で蝋燭を吹き消し、着物を着たまま寝床の上に身を投げ出して、すぐにぐっすり寝込んでしまった。
 司教が庭から自分の室に帰ってきた時、十二時が打った。
 数分の後には、その小さな家の中は寝静まってしまっていた。

     六 ジャン・ヴァルジャン

 真夜中ごろに、ジャン・ヴァルジャンは目をさました。
 ジャン・ヴァルジャンは、ブリーの貧しい農家に生まれた。子供の時に文字も教わらなかった。成人してからファヴロールで樹木の枝切り人となった。母はジャンヌ・マティーユーと言い、父はジャン・ヴァルジャンと言い、あるいはたぶん語を縮めまたボアラ・ジャン(ジャンの野郎)の綽名《あだな》としてヴラジャンとも言った。
 ジャン・ヴァルジャンは陰気ではないが考え込んだ性質の男であった。それは情の深い性質の特徴である。けれども全体として少なくとも外見上、ジャン・ヴァルジャンにはかなり無精なやくざな様子があった。彼はごく早くに両親を失った。母は産褥熱《さんじょくねつ》の手当てがゆき届かなかったために死に、父は彼と同じく枝切り職であったが木から落ちて死んだ。ジャン・ヴァルジャンに残ったものは、七人の男女の子供をかかえ寡婦《かふ》になっているずっと年上の姉だけだった。その姉がジャン・ヴァルジャンを育てたのであって、夫のある間は若い弟の彼を自分の家に引き取って養っていた。そのうちに夫は死んだ。七人の子供のうち一番上が八歳で、一番下は一歳であった。ジャン・ヴァルジャンの方は二十五歳になったところだった。彼はその家の父の代わりになり、こんどは彼の方で自分を育ててくれた姉を養った。それはあたかも義務のようにただ単純にそうなったので、どちらかといえばジャン・ヴァルジャンの方ではあまりおもしろくもなかった。そのようにして彼の青年時代は、骨は折れるが金はあまりはいらない労働のうちに費やされた。彼がその地方で「美しい女友だち」などを持ってるのを見かけた者はかつてなかった。彼は恋をするなどのひまを持たなかった。
 夕方彼は疲れきって帰ってきて
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