。ただそれだけだ。人類のうちにおいて、そしておそらく人類以外においても、最も厳《いか》めしき者、最も崇高なる者、最も美しき者、みな多少言葉の遊戯をしている。イエス・キリストは聖ペテロについて、モーゼはイザヤについて、アイスキロスはポリニセスについて、クレオパトラはオクタヴィアについて、洒落を言った。このクレオパトラの洒落はアクチオムの戦いの前に言われたことで、もし彼女がいなかったらだれも、ギリシャ語で鍋匙《なべさじ》という意味のトリネの町のことを思い出す者はなかったろう。がそれはそれとしておいて、僕はまた僕の勧告に立ち戻ろう。諸君、繰り返して言うが、熱中したもうな、混乱したもうな、度を過ごしたもうな。たとい才気や快活や楽しみや洒落においてもそれはいけない。聞きたまえ、僕はアンフィアラウスの慎重とシーザーの禿頭《はげあたま》とを持っているんだ。限度というものがなければならない。洒落においてもそうだ。すべてのことに程度あり[#「すべてのことに程度あり」に傍点]だ。限度がなければならない。食事においてもそうだ。婦人諸君、君たちはリンゴ菓子が好きだ、しかしやたらに食べてはいけない。リンゴ菓子に
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