らば、おそらくそれは事実であろう。しかしながら人は、あまりに愛しすぎるということのないと同じく、あまりに祈りすぎるということはなお更ない。経典以上の祈りをすることが異端であるとなすならば、聖テレサや聖ヒエロニムスのごときも異端者となるであろう。
彼は悲しむ者や罪を悔いる者の方へ身をかがめた。世界は彼に一つの広大なる病であるごとく思われた。彼はいたる所に病熱を感じ、いたる所に苦悩の声をきいた。そして彼はその謎《なぞ》を解かんとせず、瘡痍《そうい》を繃帯《ほうたい》せんとした。万物の恐るべき光景は、彼のうちにやさしき情をますます深からしめた。あわれみ慰むべき最良の方法を自己のために見い出すことと、他人にそれを勧むることとにのみ、彼は意を用いた。存在するところのものは皆、このまれな善良な牧師にとっては、慰藉《いしゃ》を求めながら常に悲哀に沈んでるのであった。
世には黄金を採掘するために働いている人々がいる。司教は憐憫《れんびん》を引き出すために働いていた。全世界の悲惨は彼の鉱区であった。いたる所に苦しみがあることは、常に親切を施すの機縁となるばかりであった。汝ら互いに愛せよ[#「汝ら互い
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