春婦が一個の市民に害を加えたのである。彼ジャヴェルは、それをまさしく見たのである。彼は黙々として書き続けた。
 書き終えてから彼はそれに署名した。そしてその紙をたたんで署詰めの下士に渡しながら言った。「二、三人呼んで、この女を牢《ろう》に連れてってもらいましょう。」それからファンティーヌの方へ向いて言った。「お前は六カ月間牢にはいるんだぞ。」
 不幸な女は身を震わした。
「六カ月、牢に六カ月!」と彼女は叫んだ。「日に七スーずつしか取れないで六カ月間! そしたらコゼットはどうなるだろう。娘は、ああ娘は! 私はまだテナルディエの所に百フラン余りの借りがあるんです。警視さん、考えてみて下さい。」
 大勢の泥靴によごれてじめじめしてる床の上に彼女は身を投げた。そして立ち上がろうともせず、両手を握り合わしたまま、膝頭《ひざがしら》ではい回った。
「ジャヴェルの旦那、」と彼女は言った、「どうぞお許し下さい。決して私《わたし》が悪かったんじゃありませんから、初めから御覧なすっていたら、きっとおわかりになったはずです。私が悪かったのでないことは神様に誓います。知りもしないあの男の人が私の背中に雪を押し込んだんです。だれにも何にもしないで静かに歩いてる時、背中に雪を押し込むなんていう法がありましょうか。それで私は気が立ったんです。私はこのとおり少し身体《からだ》も悪いんですもの。その上、前からあの人は私に無茶を言っていたんです。まずい顔だね、歯がないんだねって。歯のないことは自分でもよく知っていますわ。だから私は何にもしなかったんです。冗談言ってるんだと思ってました。私はおとなしくしていました。口もききませんでした。その時です、あの人が私に雪を入れたのは。ジャヴェルの旦那、警視さん、初めからそこに見ていて、私の申すのが本当だと言ってくれる人はだれもいないんでしょうか。怒ったのは悪かったでしょう。が、初めは自分をおさえることのできないこともありますわ。むっとすることがあるものですわ。それにあんな冷たいものを、思いがけない時背中に入れられてごらんなさい。あの人の帽子を台なしにしたのは私が悪いんです。けれどなぜあの人は逃げていってしまったんでしょう。私あやまるんですのに。おお神様も見て下さい、私はいつでもあやまります。だから今日の所だけはどうぞ許して下さい、ジャヴェルの旦那。ねえ、あなたは御存じないでしょうが、監獄では七スーしかもらえないんです。お上《かみ》の知ったことではないでしょうが、七スーしか取れないんです。それだのに、察して下さい、私は百フランも払わなければなりません。そうしないと娘は私の所へ返されるんです。おお神様、私は娘といっしょに住むことはできない。私のしてることはあまり汚らわしい! 私のコゼット、聖《きよ》い天使のような私の娘、かわいそうにあれはどうなるでしょう! こうなんです、娘を預ってるのはテナルディエといって、田舎者で宿屋をしてる夫婦者ですが、わけのわからない人たちです。お金ばかりほしがっているんです。どうぞ私を牢に入れないで下さい。小さい児なのに、この冬の最中に勝手にしろといって往来に放《ほう》り出されるんです。ねえジャヴェルの旦那、かわいそうではありませんか。もっと大きくなっていれば、どうにか食べてゆけもしましょうが、あの年ではそれもできません。私は心底から悪い女ではないんです。なまけたりうまいものを食べたりしたいためにこんなになったのではありません。ブランデーも飲みますけれど、それも苦しいからです。酒なんか好きではありませんが、酒をのむと苦しみを忘れるからです。私がもっと仕合わせであった時には、ちょっと戸棚をあけてみただけでもふしだらな賤《いや》しい女でないことがわかったものです。下着などもたくさん持っていたものです。お情けにどうか、ジャヴェルの旦那!」
 彼女はそういうふうに言いながら、身体を二つに曲げ、身を震わして啜《すす》り泣き、目にいっぱい涙をため、首を露《あら》わにし、両手を握り合わせ、かわいた短い咳をし、苦痛の声をしぼって静かに訴えた。大なる苦悩は聖いそして恐ろしい光で、悲惨なる者の姿を浄化する。その瞬間ファンティーヌはまた美しくなっていた。時々彼女は言葉を切って、警官のフロックの裾《すそ》にやさしく脣《くちびる》をつけた。彼女は花崗岩《かこうがん》のような冷ややかな心をもやわらげたであろう。しかし木のごとき心をやわらげることはできないものである。
「よろしい、」とジャヴェルは言った、「言うだけは聞いてやった。もうすんだのか。それではさあ行け。六カ月だぞ。父なる神でさえもはやどうにもできないことなんだ。」
 父なる神でさえもはやどうにもできないことなんだ[#「父なる神でさえもはやどうにもできないことなんだ」に傍
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