求むべきである。掘りつくすべきである。奥底まで行くべきである。真理を追い求め、地下を掘り穿《うが》ちてそれをつかまなければならない。その時真理は人に美妙なる喜びを与える。人は力強くなり、真に笑うことができる。私は確乎《かっこ》たる信念を持っている。司教さん、人間の不死というのは一つの狐火《きつねび》にすぎない。まことに結構な約束だ! それを信ずるもまたいいでしょう。アダムは結構な手形を持ったものだ。人は霊である、天使になるであろう、双肩に青い翼を持つであろうと。それからテルツリアヌスではないですか、幸福なる人々は星より星へ行くであろうと言ったのは。それもいいでしょう。人は星の蝗虫《ばった》になる。そしてそれから、神を見るであろう。アハハハ。それらの天国なるものは皆|囈語《たわごと》にすぎない。神というはばかばかしい怪物にすぎない。もちろん私はかかることを新聞雑誌の上で言いはしないが、ただ親友の間でささやくだけです。杯盤《インテル》の間《ポキュラ》にです。天のために地を犠牲にするのは、水に映った影を見て口の餌物《えもの》を放すようなものです。無限なるものから欺かるるほど愚かなことはない。私は虚無である。私は自ら元老院議員虚無伯と呼ぶ。生まれいずる前に私は存在していたか。否。死後に私は存在するであろうか。否。私は何物であるか。有機的に凝結したわずかの塵《ちり》である。この地上において何をなすべきか。それは選択を要する。すなわち、苦しむべきかもしくは楽しむべきか。ところで、苦しみは私をどこへ導くであろうか。虚無へである。しかし既に苦しんだ後にである。楽しみは私をどこへ導くであろうか。虚無へである。しかし既に楽しんだ後にである。私の選択は定まっているのだ。食《くら》うべきかもしくは食わるべきかの問題だ。私は食う。草たらんよりはむしろ歯たるに如《し》かず。そういうのが私の知恵である。いいですか、その後には墓掘りが控えている。われわれにとっては神廟《しんびょう》が。皆大きな穴の中に落ちこむのである。死。結末《フィニス》。全部の清算。そこが消滅の場所である。死は死しているのである。私に何か言うべき人がそこにいるというのか。考えるだに可笑《おか》しい。乳母《うば》の作り話だ。子供にとってはお化け、大人《おとな》にとってはエホバ。いな。われわれの明日《あす》は夜である。墓のかなたには
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