んあく》」を現わすものである。そして彼は、プティー・ジェルヴェーの事件はこれを保留しておき、厳刑を請求しながら弁論を終えた。
ここに厳刑というのは、読者の知るとおり、無期徒刑をさすのである。
弁護士はまた立ち上がって、まず「検事殿」にその「みごとなる弁舌」を祝し、次にできる限りの答弁を試みた。しかし彼の論鋒《ろんぽう》は鈍っていた。地盤は明らかに彼の足下にくずれかけていた。
十 否認の様式
弁論を終結すべき時はきた。裁判長は被告を起立さして、例のごとく尋ねた。「被告はなお何か申し開きをすることはないか。」
男は立ったまま手に持っているきたない帽子をひねくっていた。裁判長の言葉も聞こえぬらしかった。
裁判長は再び同じ問いをかけた。
こんどは男にも聞こえた。彼はその意味を了解したらしく、目がさめたというような身振りをし、周囲を見回し、公衆や憲兵や自分の弁護士や陪審員や法官らをながめ、腰掛けの前の木|柵《さく》の縁にその大きな拳《こぶし》を置き、なお見回して、突然検事の上に目を据えて語り初めた。それはあたかも爆発のごときものだった。その言葉は、支離滅裂で、急激で、互いに衝突し混乱して、口からほとばしりいで、一時に先を争って出て来るかのようだった。彼は言った。
「私の言うのはこうだ。私はパリーで車大工をしていた。バルー親方の家だ。それはえらい仕事だ。車大工というものは、いつも戸外《そと》で、中庭で、仕事をしなくちゃならない。親切な親方の家じゃ仕事場でするんだが、決してしめ切った所じゃない。広い場所がいるからだ。冬なんかひどく寒いから、自分で腕を打って暖まるくらいだ。だが親方はそれを喜ばない。時間がつぶれるというんだ。舗石《しきいし》の間には氷がはりつめていようという寒い時に鉄を扱うのは、つらいもんだ。すぐに弱ってしまう。そんなことをしていると、まだ若いうちに年をとってしまう。四十になる頃にはもうおしまいだ。私は五十三だった、非常につらかった。それに職人というものは意地が悪いんだ! 年が若くなくなると、もう人並みの扱いはしないで老耄奴《おいぼれめ》がと言いやがる。私は一日に三十スーよりもらわなかった。給金をできるだけ安くしようというのだ。親方は私が年をとってるのをいいことにしたんだ。それに私は、娘が一人あった。川の洗たく女をしていたが、その方でも少し
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